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サロン21

【憲法守って国滅ぶの愚】
――日独米英の憲法前文の比較で想うこと――

安田 茂

(1)序に代えて~~国家の危機管理に関する日本人の現状認識は?~~

 新約聖書のマタイの福音書13章12節:「持っている人は与えられて、持っていない人は、持っているものまで取り上げられるだろう」
 今の世界、どうもこれが現実。民主主義のアメリカも共産党の中国も、世界中、貧富の差は激しくなっている。2000年以上前にキリストが、現在の人間社会の有り様を言い当てていたという事は驚きであるが、神は人間の「性(サガ)」を先刻お見通しであったという事であろう。
 世界の中でも日本は一番平和で、相対的に豊かで、格差も相対的に少なく、国民は幸せな生活を送っている。問題は戦後の平和憲法の下で、歴史の正視を避けた教育を強要された日本人は、この人間社会の本来の厳しさを理解せず――現実の厳しさに文句を言いながら――「蛙の楽園」のように無防備に生活していることである。
 戦後日本が主権を回復したのはサンフランシスコ平和条約の批准が完了した1952年4月であったが、憲法が施行されたのはそれよりも5年も前の1947年5月3日であった。占領下の主権の無い日本国民が主権在民の憲法を主導して作れる訳がない。それは致し方ないことであった、しかしながら、世界の安全保障環境が激変したというのに、日本は戦後72年以上もアメリカ製の平和憲法を押戴いて現在に至った。ドイツも憲法を主権回復前に施行したが、占領軍の指導を受けたという事で民族の矜持としてこれを憲法と呼ばず「基本法」と称し、現在までにすでに約60回、改正していることは周知の事実である。現在、自民党は――支持率は低下したとは言え――安倍政権の下、友党と共に憲法改正の要件である議会の2/3以上を占めている。この機会を逃せば、一体何時になったら憲法改正が出来るのか、誠に心許ない昨今である。政治はポピュリズムを排し、平和ボケの国民の説得に汗を掻き、「日本人による日本人の為の憲法」を―――改正が数次にわたっても――是非とも実現してもらいたいものと念願している。そのスタートは今しかない。

(2)日本人は自分の足で立っているか?-砂川判決を忘れた日本人

 「国家」は英語で「state」、フランス語で「etat」、ドイツ語で「staat」、これはいずれも語源はラテン語の「status」である。その意味は地位とか、「立っていること」、「立つ」である。これはもちろん独力で立つことを意味し、独立国、主権国家に繋がっている訳である。その意味では植民地(colony)や保護国(protectorate)は本来国家としては半人前である。
 砂川判決(伊達判決)に対する最高裁の司法審査権の不行使が提起した深刻な問題は、日本の憲法と日米安保条約とどちらが上位かという位置関係に投げられた問題である。
 1957年7月、米軍立川基地の拡張工事を巡って反対派のデモ隊が米軍基地の敷地内に立ち入った事件で、刑事特別法違反で7人が逮捕されたが、一審裁判に於いて東京地裁の伊達裁判長が、「在日米軍は憲法第9条2項に反して違憲である」とし、全員無罪とした東京地裁の伊達判決は、1959年3月30日の事であった。ところが米国は電光石火の動きを見せた。時のマッカーサー駐日大使はその翌日の早朝、時の藤山外務大臣と会談を持っていた。明らかに日本政府に一日も早く上級裁で伊達判決を覆すべくあらゆる手段を採るべしと米国政府が圧力をかけたのであろう。その結果政府は東京高裁を飛ばして、いわゆる最高裁に跳躍上告し、本件を最優先して審議,1959年12月16日に砂川判決を覆す判決が出された。
 以下は判決の最も重要な部分である。「安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが違憲であるか否かの法的判断は最高裁の司法審査権の範囲外にある」。これは「司法消極主義」とも言われているようであるが、ではその消極主義で何を隠そうとしていたのか、それが問題の本質である。これ、1960年の日米安保改定騒動の前夜の出来事であった。つまり最高裁は砂川判決に対して、憲法を立てれば、安保条約が立たず、安保条約を立てれば憲法が立たずという事態に直面し、統治行為論に逃げたという事になる。言わば当時すでに憲法は現実から遊離していたことになる。いま日本は、日米安保条約および地位協定に基いて、国内に自衛隊との共同使用も含めて130余の基地を米軍に提供し、国防を担保している。これが日本が今存立している現実である。しかしその後も世界情勢が不透明さを増す中で、日本はその憲法の改正を未だに手を付けられないのである。これこそ政治家、学者、国民の怠慢でなくて何であろうか?

(3)改憲以前に正さねばならぬ日本人の精神の劣化

 現憲法の基本理念は1.国民主権、2.基本的人権の尊重、3.平和主義である。誠に立派な理念であり、誰も憲法改正でこれに手を付けろとは言っていない。しかし最近、「憲法第12条、自由・権利の保持の責任とその乱用の禁止--「この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。また国民はこれを乱用してはならないのであって、常に公共の福祉の為にこれを利用する責任を負ふ。」――の条項に絡んで誠に深刻な事件が一橋大学の『小平祭』で発生した。それは周知のとおり、6月10日に校内で予定されていた百田尚樹氏の講演がARIC(反レイシズム情報センター)なる団体による執拗なる抗議、妨害によって中止になった事である。彼らが小平祭実行委員会に送った要請書の一部を彼らの背景を知るために以下に引用する。
「周知のとおり、百田氏は日本軍「慰安婦」制度・南京大虐殺・沖縄の米軍基地化などについての歴史否定や、在日コリアンはじめ、在日外国人へのヘイトスピーチを繰り返して来ました。百田氏の発言・言動は、ほぼ間違いなくネオナチなどの極右として法規制の対象となります。」
と決めつけ、更に「確信犯的にヘイトスピーチを繰り返して来た百田氏を一橋大学の様な著名な国立大学の大学祭が公式なゲストとして招聘することは、氏の差別思想や差別的扇動行為に公的な宣伝の機会を与え社会的に差別を扇動することになります。従ってこれらの行為は刑事訴訟してでも社会が抑止すべきであります。」とある。その抗議は、もし実施したら暴力行為も辞さないという強迫を含むに至って、自治会は百田氏の講演会をついに中止を決定したとあった。「言論の自由の場」である大学の自治会が日本国の分断を狙う「言論の闇の暴力」に屈したのである。一橋の学生諸君は(いずれ法曹を含めて)各方面で日本の指導者の役割を担う事になるだろう。その彼らがかかる「言論の暴力」と対峙して「何が真の正義か?」の問いも出来ず、従って「自ら正しいと考える事の為に戦うことも出来なかった」という事実は、日本の将来の為に誠に由々しき大事であると私は考える。今回の学生諸君の判断は憲法第12条の「憲法が保障する自由及び権利は国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」の条文を忘れた極めて深刻な事態ではないのか?これは改憲以前の問題である。学生諸兄に明日の日本の為に、しっかりと自分の足で立ってもらいたいと願うや切である。
 もう一つ深刻なのは大方のマスコミが本件を‘流しのニュース’として報道しただけだったことである。彼らはARICの言論の暴力を大声で批判することを避けたのである。これは「報道しない自由」を駆使することによって、明らかに放送法第4条の求める「報道の公平、公正の精神」に背を向けたのである。電波法上与えられた寡占の特権を懐にして、何が真に国益かを忘れ「立ち位置」のふらついているマスコミにも法令順守の基本が問われているのである。

(4)日米安保条約が盤石であるという認識の甘さ

 日米安保条約第10条:「日米いずれかの当事国より、当条約を終了する意思を相手国に通告する事ができ、その場合その通告から1年後に本条約は終了する」。つまり盤石に見える日米安保条約も、米国にとって状況が変われば、いつでも一年の予告で終了できるのが今の安保条約である。現在のトランプ政権の「アメリカ・ファースト」の政策が何も新しいものではなく、建国以来のアメリカのモンロー主義の潜在的リスクを日本は常に念頭に置いて、基本的に「日本が主権国家として存続し、自分の足で立って行く道を真剣に考えるべきなのである。
 日米同盟の継続の是非についてのアメリカの論点は明快で「それがアメリカの経済発展、安全保障にとって必要、有益であるかどうか?」に尽きる。一方中国は日米のデカプリングをアジア覇権の基本政策としている。
 日露戦争直後のルーズベルトによる「オレンジ計画」、日中戦争での蒋介石空軍へのパイロット供給等、アメリカは建国以来自身の栄光の為には手段を選ばない国であることを忘れてはならない。
 今北朝鮮のミサイル問題の先に、米中関係が将来どのように変容してゆくのかと言う問題が仄見え、場合によってはこれが日米の「デカプリング」の問題に発展するという議論が散見されるようになった。確かに、基本的に考えなければならないのは、米国が2001年に中国をWTO に迎え入れる10年以上も前から、米国の大企業は中国経済と深く結びついていたという事実である。キッシンジャーの「世界の平和はバランスをとる事で維持出来る」という考え方も今後の米国の対中政策で注目しなくてはならない点であろう。日米安保が強固に見える今、我々は今後自分の足で立たなくてはならないと言う当たり前の――しかし厳しい――現実を念頭に置くなら、憲法改正問題は喫緊の国家の大事であろう。

(5)永世中立国・スエーデンの国防策は

 備えの無い平和主義は戦争を呼び込むという事実は歴史に照らして明らかである。この点で日本の憲法は主権国家のそれとしては大きな疑問符が付く。永世中立国と言われて来たスエーデンがどのような安全保障政策を採っているのか一瞥してみよう。
 スエーデンは95年にEUには参加しているが、NATOには参加していない。人口約1,000万人。徴兵制度を廃止した時期もあったが最近これを復活した。ストックホルムの街は十数個の島嶼からなっているが、バルト海からの侵入に対してはそれを阻止する要塞が平時には目につかないように防備されている。また国は常備兵十数万人、予備兵30万人で三軍を維持している。日本と人口比で比較すると、常備兵だけで日本の現在の自衛隊約25万人に対して180万人に相当する。
 またストックホルム市内はスイスの大都市と並んで原爆シェルターを備えている家庭が多いことで知られている。小生2年ほど前にストックホルムを訪れたが、その時知人から「今でも月に一度はお昼頃空襲警報が街中に鳴り響き、市民はそれぞれ近くにある防空壕に非難する訓練をやっている」と聞いて驚いたものである。

(6)永世中立国、スイスの国防策はハリネズミの如し

 スイスは現在の人口約八百万人。19世紀の初めより永世中立国として、周りの大国と対峙してきたが、小国とは言えハリネズミの様に武装しており、ヒトラーですら侵攻するのを避けた武装強国である。国土を防衛する常備職業軍人は空軍を傘下にした陸軍のみで、5,000人に満たないが、国民皆兵が基本であり、一旦事あれば400,000人の予備兵と、更に約同数の民兵が二十四時間以内に必要な位置に配備されるという。これは人口比で日本に例えれば百二十万人という事になる。勿論、定期的な軍事訓練が義務づけられており、小生もスイスの田舎で機銃を担いで、鼻歌を歌いながら帰っていく若者の集団を2度ほど見掛けたことがある。また国外に通じる高速道路には戦車の侵入を防止するバリアが重層で埋設されており、一旦事があればこれが道路上に競り出すようになっている。行方を塞がれた戦車には道端の掘立小屋に偽装されたトーチカがこれを仕留めるという具合である。
 これが真に平和を欲する国の備えであり、今の日本のように備えを怠り平和を念じてもそれは現実には敵わぬ夢である。日本の平和主義者にはこの点をしっかり学んでもらいたいものである。

(7)日本はすでに共産党中国から「目に見えない戦争」を仕掛けられている。

 それは浸透(permeation )戦略であり、あからさまに武力を使う侵攻(aggression )ではない。つまり孫子の「戦わずして勝つ」戦法である。日本の憲法は中国の戦略にとってはまるで招き猫のように見えているであろう。日本はすでに中国から「目に見えない戦い」を仕掛けられていると話しても、大方の日本人にこのような認識はない。そのこと自体が現行憲法下における国家の存立の最大の危機そのものと言える。「日中友好」の仮面で来る相手にあらゆる点で全く対応ができていないのが現状である。
 以下はDr. Michael Pillsbury(元CIA,FBI agent)がアメリカでベストセラーになった近著[The Hundred-Year Marathon]で纏めた中国の対米戦略の虎の巻である。この対米戦略は既に日本にも矢が放たれている。見え隠れする「反日政策」は日本人を組みし易しとみて、手の内を見せているのである。
 フィルスベリ―氏によると、中国は戦いに勝つ長期戦略として以下の如く相手に真意が見えない形で静かにことを進め、機が熟せば一気呵成にこれを陥れるとしている;

  1. Induce complacency to avoid alerting your opponent.(相手を自己満足に導き警戒心を解け。)
  2. Manipulate your opponent’s advisers.(敵の助言者を自在に操れ)
  3. Be patient for decades or longer-to achieve victory.(勝利を手にするまで何十年でも耐えろ)
  4. Steal your opponent’s ideas and technology for strategic purposes.(戦略的目的の為に敵のアイデアや技術を盗め。)
  5. Military might is not the critical factor for winning a long-term competition.(長期的な観点で競争に打ち勝つには、軍事力は決定的要素ではない。戦わずに勝つのが最善の方策である。)
  6. Recognize that the hegemon will take extreme, even reckless action to retain its dominant position.(覇権国はその地位を維持する為には、必要とあれば如何なる非情な行動をも取ると知れ。 情けは無用である。)
  7. Never lose sight of “ shi” (常に「勢い」を失わないよう留意しろ。)
  8. Establish and employ metrics for measuring your status relative to other potential challengers.(常に彼我の力量、状況の差を正確に把握する尺度を確立し、次の手に生かせ。)
  9. Always be vigilant to avoid being encircled or deceived by others. (他国に包囲されたり、騙されたりすることの無いよう、常に警戒を怠るな。)

 かくしてお目当ての国にその真意を全く知られずに事を運べば、相手は気が付かないうちに、意のままに操縦されるようになる。そこで,機至れば一転牙をむいて事を進める。相手は戦う暇もなく手中に入るという訳である。目標年月は2049年,つまり共産党中国建国からちょうど100年目である。この場合念頭にある仮想敵国はアメリカであるが、日本をアメリカと分断し、日本自治国として支配しようと目論んでいる。この目的を達成する手段として所謂、三戦、つまり心理戦、情報戦、そして法律戦をフルに活用する。現在習近平の中国共産党は日本を靖国等参拝等、心理戦で痛めつけ、情報戦で丸め込み、日中戦争で日本はいかに残虐であったかを南京の誇大プロパガンダ等、法律戦で日本の非を歴史に確定すべく着々と手を打っているのである。日本の備えや如何に。

(8)粉飾塗れで真実が見えない中国経済が最大の安全保障リスク

 8月17日のFTが著名な金融アナリスト(Ms.Charlene Chu)の現在の中国の不良債権をIMF統計を用いて、$6.8trn (約750兆円)と試算し、今年の年末には$7.6trn(約835兆円)に達するだろうと予測していた。何と中国の公表GDPの約80%に相当する大きさである。GDPは国の経済活動の付加価値の総量であるから、もしこの不良債権が正しく会計処理され、一挙に償却されたとしたら、現在のGDPは公表数字の20%という事になる。(チャート1~2、および 図3、参照)。中国経済のリスクは中国共産党の存続のリスクであり、そのリスクが南シナ海、東シナ海での覇権的行動として世界に投射されているのが今の中国リスクの本質であろう。その中国経済の現在のリスクを以下にアイテマイズして見よう:

  1. 国土の砂漠化の激化で14億の国民を食べさせていけない。(差し迫る絶対的食糧自給率不足)
  2. 一人っ子政策の結果、今世紀半ばには人口老齢化比率の急速な進展。職を追われる労働者、年金システムの不備、医療機関の不備が社会不安を惹起し、国内需要不足に追い打ちをかけている。
  3. 共産党の富の源泉、国土の所有権の独占を利用したバブルの演出も不良債権で終わりが見える。
  4. 息が詰まる言論統制で社会が窒息の危機。富裕層の海外逃避も着実に進んでいる。
(9)トランプのSUPER,301条と習近平の”Made in China 2025”の戦いの行方

 習近平は2015年に”Made in China 2025”なる中国経済の新中期成長方針を打ち出した。

それは以下のハイテク分野:
1).semiconductor, 2)AI (artificial intelligence, 3)autonomous vehicles, 4)biotechnology  5)other high tech goods。を成長戦略の中心とするものである。そのためには「ハイテク技術を盗む」努力が一層激しくなることが予想される。一方米国は膨大な貿易赤字の原因に中国の不公正貿易慣行、知的財産権の略取に主たる原因有りとして、スーパー301条の適用を念頭に徹底的な調査を開始した。
 これは米中の意図するところが真っ向から対立する事であり、そうなれば米中の経済戦争が世界経済を大混乱に陥れる可能性も否定できない。更にウイルバー・ロス商務長官が警戒しているのは、中国司法当局が米国のこれらの戦端技術を先回りして自国の独禁法の該当技術として登録し、米国内でのパテントを中国内で無効化する法的バリアを構築している疑いである。日本にも「日中友好」のほほえみの裏にはハイテクの技術を狙っている恐ろしい牙か隠されていると考えてよい。備えは十分なりや?

(10)「歴史」を学ぶことと「歴史とは何か?」と問うことの違い

 アメリカの占領政策によって日本は戦後の歴史教育を過去から遮断された。問題は戦後の歴史教育が「戦勝国・米国の検閲を受けた歴史」を学ぶことに絞られ、歴史を学ぶ過程で、「歴史とは何か?」と日本人が歴史の本質を問う姿勢を禁じられたことではないか?
 「歴史」の本質を研究したE.H.Carr:は彼の著[What is History ?]で「歴史は史実と関係なく、ある意図を持って創作される。そして反対がなければ、時を経てそれが歴史となる。」としている。〈参考資料5、参照〉。 日本はいま隣国から慰安婦の問題や南京虐殺の問題等で執拗に責められ、戦後72年経って、WGIP(War Guilt Information Program)の影響下、大方の日本人には何が真実かも判らないという深刻な事態を招来している。日本人が『歴史とは何か?』を問わなくなったのには現行の憲法が日本人に「過去の歴史」を遮断し、「歴史を考証」させなかったことも大きな要因になっている。日本国の栄誉を毀損するようなプロパガンダには、国家の尊厳をかけ、外交努力を以って、また国民も一丸となって戦い、これを訂正していくという不退転の意志は平和憲法の下では無縁であったと言える。「他人の善意に己の身の安全を任す」というような現在の憲法前文は国民に対して何の「安全」も担保する事が出来ないという現実を我々はしっかり認識し行動しなければならない。

(11) 国連憲章、敵国条項は幽霊のように現存する

 1995年に日本はドイツと共同提案でこの敵国条項53条及び107条の廃止を提案。賛成155、反対10票以内(反対国は米国、ロシア、中国、北朝鮮、韓国、その他)の圧倒的多数で可決した。しかし、その後、成立に必要な2/3の国の批准が得られず、条文は現状のまま残っている。因みに日本、ドイツを含めて計6カ国がここで言うEnemy state(敵国)と定義されている。それでいて日本の国連分担金は国連拠出金全体の約19%で、米国に次いでNo.2である。(中国はNo.3)。
 問題はここで言う戦勝国は「自衛の戦争であれば国連安全保障理事会の了承を得ることなく、その領土を武力攻撃により奪還できる」と読み取れる部分である。尖閣諸島及びその領海は72年沖縄返還の時、米国は台湾、中国への配慮から尖閣の「日本の実効支配」は認めたが「日本の領土」としては認めなかった。これはアングロサクソン特有の「Divide and Rule 」によるその後の関与に道を残す戦略である。中国が自国の「領土領海法」を改正し尖閣諸島及びその周辺領海を自国の領土・領海として組み入れたのは1992年であった。これによって中国側からの論理では「日本は元々の中国領土を実効支配している」として、日米安保条約に隙間が生ずれば直ちにまず民間の漁民に偽装した軍を送り込み、日本がそれを排除すべく攻撃すれば、「正当なる自衛の戦争」として軍を出動させ戦闘が開始されるという事態が予想されている訳である。
 因みに1992年の中国経済は89年の天安門事件の煽りを食い、西欧諸国から厳しい経済制裁を受けて青息吐息であった。鄧小平はその窮地を脱するのに日本を利用しようと、時の宮沢内閣に天皇訪中を働きかけ、日本側も日中友好の為ならと同意し天皇訪中が実現した年である。鄧小平の読み通り、これを契機に西欧社会の対中制裁は日本との競争意識が働いて次々と取り払われ、その後の中国経済の急速な発展に繋がったのである。それが奇しくも彼らが尖閣を「俺たちのものだ」と自国の法で取り込んだ年と同じだったという事は、一体我が国の外交はどうなっていたのだと忸怩たる思いに捉われるのである。外交は不在だったと言われても仕方が無かろう。
 小生3年前に尖閣に絡んで石垣島を訪問し、主要なところをタクシーで回って実地調査をした。石垣島と台湾と尖閣諸島は夫々約160キロメートルのほぼ正三角形の位置にある。漁師に直接聞いたところであるが、その海域は大変豊かな漁場であるが、今は中国に遠慮して、海上保安庁から漁場をかなり制限されていて誠に不本意な状況が続いていると訴えられた。これが主権国家の領土・領海政策であろうか? (国連憲章第53条及び103条は添付参考資料6参照)。 その時、肌で感じたことは、尖閣が中国の手に落ちたら、台湾は挟み撃ちにされて命運を絶たれ、同時に沖縄も危なくなろう。然すれば進行中の北海道への浸透戦略と合わせて、次は本州が挟み撃ちになる危機が現実のものになるだろうという悪夢であった。日本の安全保障対策、憲法改正が如何に急務であるかと言う事を深く感じたものである。

(12)イギリス憲法最初のConstitutional Document ,Magna Carta(1215年)

 以下はマグナカルタの有名な一節である。
‘No free man shall be seized or imprisoned, or stripped of his rights or possessions, or outlawed ,or exiled, or deprived of his standings in other way, nor will we proceed with force against him, or send others to do so, except by the lawful judgement of his equals or by the laws of the land. To no one will we sell, to no one deny or delay right or justice.

 英国の貴族たちは時のジョン王がフランスとの度重なる戦争にうつつを抜かし、戦費がかさみ、税金は増えるは徴兵されるはで音を上げ、貴族の財産権や地位が王権の乱用によって理由もなく略奪されたりしていた状態を何とか止めなくてはならない、それは法によって歯止めをかけるより無かろうという切羽詰まった要望が簡明に書かれていて、ジョン王が渋々これにサインした様子が目に見えるような文章である。
 これがイギリス憲法の最初のConstitutional Document と言われ、その後に1628年のPetition of Rightsが続いた。「権利の請願」を否定したチャールズ一世の処刑に続いて、短期間のクロムウエルによる共和国時代も経験し、数々の困難を経てコモンロー憲法の規範として,約25の成文法を判例として積み重ね、現在のイギリスの不文法憲法は存在している。言うなればイギリスの憲法はイギリスの歴史の発展そのものを規範としているのである。
 主要な成文法には1981年最高法院法;1981年国籍法;1998年人権法;2004年市民緊急事態法、非常事態法等がある。

(13)「グローバリズムが世紀遅れのナショナリズムの幽霊を連れて来た!」

 国民が国益を忘れ「立ち位置」がふら付いていると、中国の様な強烈なナショナリズムの国の餌食になるリスクが大きい
 1648年、ウエストファリア条約で誕生した「近代国家の原形」は、ジョン・ロックの社会契約説で理論的に説明された。それは人間が「自然状態」から土地に労働を加え作物を作り財産を形成し隣人が協力し合い「共同社会」から「国家」を成し、自分の財産権を安堵すると言うものである。この考えは米国の「独立宣言」やフランス革命に結実した。更に日本憲法にも受け継がれていると言える。(第13条、第29条等)。これらの条文は統治者に国民主権を義務付けている内容であるが、国民はその契約の見返りとして国家に対して「自由」に対しては責任を、「権利」に対しては義務を負わなくてはならないのは当然である。
 戦後の占領政策で日本人は「国家」を軽んじる教育を受けて来たが、今改めてジョン・ロックの「国家生成の原点」に思いを致すべきではないか。どの国も国益追及に忙しい昨今の世界で、日本国以外のどこの国が日本人を護ってくれると言うのか?

(14)「アメリカの憲法ついて」

 英米法は一口に不文法・慣習法と呼称されているが、アメリカ合衆国の憲法だけは例外的に成文法の形式を採り、加えて憲法改正に際しては旧条文は破棄せず残し、修正第何条として加える加憲主義を採っている。従って2015年現在では原条文は第一条から第七条までと簡潔であるが、修正条文は第一条から二十七条となっている。この修正条文の中で例えば、奴隷制度廃止が修正第十三条(1865)にあり、十八歳以上の市民への選挙権の付与が修正二十七条(1992)にある。連邦政府が成文法憲法の形式を採用したのは、連邦国家として誕生した新生アメリカはその連邦行政(例えば国防、外交、郵便、通信制度等)を明確に州法と区別する為であった。しかし憲法改正をしても旧法を残し、加憲主義を採っているという事は、結果的にイギリスの慣習法に倣っていると言える。

アメリカの独立宣言(1776・7・4)から連邦憲法制定へ(1788)

 アメリカの憲法を調べるに当たり、ジェファーソンが起草したと言われている有名な独立宣言の第二節の一部を先ず引用しよう。そこにはマグナカルタより一歩進んだ文言がある。「すべての人間は生まれながらに平等であり、奪う事の出来ない権利を創造の神より付与されている。生きる権利、自由、幸福を追求する権利等である」。「独立宣言」はかなり長文であるが、以下の部分は新生民主主義国家の人間の尊厳にかかわる重要な部分である。
Preamble to the Declaration of Independence
We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.

 以下にアメリカの憲法の“かたち”に大きな影響を与えて来た主要な歴史上の事件を年代順に並べて見た。諸兄が若き日に既に学ばれたことばかりであるが、こうして時系列で並べてみると、忘れていた記憶を整理する事が出来る。:独立宣言(1776・7・4)、パリ講和条約(1783年)で法的に独立国家へ、合衆国憲法―13州―発効(1788)、ワシントン初代大統領就任(1789年)、リンカーン第16代大統領就任、南北戦争(1861)、リンカーン奴隷解放宣言(1863)。
 以下はそのアメリカ合衆国の憲法の前文である。
Preamble
We, the people of the United States in order to form a more perfect union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common defense, promote the general welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish This Constitution for the United States of America.

(15)主権回復前に新憲法を制定した西ドイツが「憲法」の呼称を避け
「基本法」とした国家としての矜持

日本国。憲法施行、1947年5月:主権回復、1952年(サンフランシスコ平和条約)
西ドイツ。基本法施行、1949年5月:主権回復1955年(パリ平和条約)

 ドイツは、戦勝国としての米英仏及びソ連との間での戦後処理の調整の結果、1948年に東西ドイツに分割された。その翌年に西ドイツは当時まだ米英仏の管理下にあった各州の議会の承認を得て、連邦基本法を制定・施行した。主権の無い時点で制定され、しかも東西に分断された状態での基本法であった為、西ドイツ政府は憲法という呼称を避け、これを『ボン基本法』と呼び、将来東西ドイツが統一した時点で改正しそれを「憲法」と呼ぶ考えであった。
 しかし現実には1990年9月のドイツ最終規定条約(2+4条約)の調印後、時のコール政権の力で、東ドイツが西ドイツに「加入」するという形で統一ドイツが誕生した後も基本法のままで現在まで存続している。一般論で言えば日本もドイツも主権を回復した時点で可及的速やかに憲法(基本法)を破棄するか、あるいは速やかに国情に合わせて必要な条文の改正手続きをとることにより、法的にも100%主権国家の自主憲法としてこれを整えるのが取るべき姿であっただろう。西ドイツは現在までに60回にわたって基本法改正をして来たことによって立派に実質的に自主憲法になっている。中でも重要な改正は例えば1956年の再軍備に関する改正、1966年の「非常事態宣言」に関する改正、つまり国家の危機管理を時代の変化に合わせた改正、また1990年のドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国(東ドイツ)の統一に関する条約を受けてボン基本法のドイツ全域への適用を宣言した改正、また1992年の欧州統合に関するマーストリヒト条約批准に伴う改正、等々がある。このようにドイツ基本法は戦後の状況の変化に合わせて幾度も改正を重ねて来た。

(16)「恒久の平和を念願し、われらの安全と生存を、平和を愛する諸国民の公正と信義にかけることを決意した」日本国の憲法と、「自主独立の精神において責任を自覚し世界の平和に奉仕する」ドイツ基本法

 ドイツ連邦国基本法の前文は短文で極めて簡単である。しかしその内容は濃く、自主独立の精神において「責任」を自覚し、「世界の平和に奉仕する」と表現し、主権国家の最高法規の規定として力強い国家国民の意志を感じ取る事が出来る表現になっている。これに対して日本国憲法前文は「人類の善意に我が身の将来を託す」と言う、他力本願で自身の意思を放棄した信じられない表現であることは周知のとおりである。「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」は主権国家の憲法としてはあり得ないユートピアの表現で有り、且つ表現は明らかに翻訳調である。これに対してドイツ基本法の前文は以下の通り:「ドイツ国民は神及び人間の前での責任を自覚し、統合されたヨーロッパの対等の構成員として世界の平和に奉仕する意思に鼓舞されて、その憲法制定権力に基づき、この基本法を制定した。」として誠に力強い。続けてドイツ連邦を構成する16のラント(州)を列挙して、「これらのラントのドイツ人は自由な自己決定においてドイツの統一と自由を完成させた。これによりこの基本法は全ドイツ国民に適用されることになる。」と結んでいるが、平和に奉仕しようとする意思はあくまでも自主的であり他人任せではない処が日本と大違いである。
 歴史を顧みれば、第一次大戦が終わり、もう戦争なんかこりごりだという事で、国際連盟加盟国が日本も含めて批准した条約がある。それはケログ・ブリアン条約、別名パリ不戦条約と言われているが、皮肉にもこの不戦条約調印後10年ちょっとで第二次大戦が始まったのである。フランスはドイツに敗れ、パリ、シャンゼリゼ通りでドイツ軍の戦勝記念パレードが挙行された。我々日本人がマッカーサーに主導され戦後70年も押し頂いてきた憲法第9条は実はこのケログ・ブリアン条約の以下の参照条文の焼き直しである。護憲を主張する平和主義者は憲法どころか連盟国のほとんどが批准した平和条約ですら簡単に反故にした血なまぐさい人類の歴史を謙虚に振り返るべきである。詰まるところ「抑止力」を持たない国家は戦争を呼び込み、滅びの道を歩んできたのが人類の歴史であり「憲法守って国滅ぶ」の愚は絶対にあってはならないのである。

Kellogg-Briand Treaty: (1928年)(日本の憲法第9条の原典である。)
Article 1: The High Contracting Parties solemnly declare in the name of their respective Peoples that they condemn recourse to war for the solution of international controversies and renounce it as an instrument of national policy in their relations with one another.
Article 2: The High Contracting Parties agree that the settlement or solution of all dispute or conflicts of whatever nature or of whatever origin they may be, which may arise among them, shall never be sought except by pacific means.

参考文献:
「世界憲法集」 高橋和之編 岩波新書
「統治二論」 ジョンロック著 加藤節訳 岩波文庫
「ホッブス・リバイアサン」 藤原保信著 有斐閣
「国際社会と法」 横田洋三著 有斐閣
「ニュルンベルグ裁判」 Annette Weinke著 板橋拓巳訳 中公新書
「世界が裁く東京裁判」 佐藤和男 ジュピター出版
「日本国憲法」 樋口洋一著 ミミズ書房
「五衰の人」三島由紀夫私記 徳岡孝夫著 文芸春秋
「法を学ぶ」 渡辺洋三著 岩波新書
「ヴェルサイユ条約」 牧野雅彦著  中公新書
The Hundred-Year Marathon Michael Pillsbury Henry Holts & Co.
What is History ? Edward Hallett Carr Vintage Books
孫子・呉子、中国の思想 10巻 村山学 徳間書店
聖書と契約 藤林益三 東京布井出版
「日米地位協定入門」 前泊博盛 創元社

安田 茂
E mail: yasudas@taupe.plala.or.jp
1934年、三重県津市生まれ
学歴:津高等学校卒
東京外国語大学卒、中国語科、国際専修過程
New York University, Business School, 修了
職歴:山一證券(株)、ロンドン、ニューヨーク現地法人を経て国際金融部長歴任 (1960-1987年)
Jardine Fleming Securities Co, Limited, Tokyo, Director/Jardine Fleming International Holding(HK)Limited ,Director、(1987-2000),(注:M& Aにより現在はJP Morgan Chase GroupのAsset Management Division になっている。)
IR International Limited ,Director (2000-2010)(IR のアドバイザリー会社)
株式会社・ホギメディカル、社外監査役 (手術用医療機器メーカー、2004-2016年)

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