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「800字文学館」 仕事がらみ

「習う」と「教える」

野瀬 隆平

 大柄のイギリス人が中に入ったら、わが家はまさに「ウサギ小屋」のように狭く感じられた。今から50年も前、1DKの新婚者用の社宅に住んでいたころの話である。

 造船会社に入り、海外営業の仕事をしていた。当時、日本の造船業は競争力をつけ始め、先輩である英国の地位を脅かすまでになっていた。なぜそんなに日本が強いのか、実情を探ろうと欧州から視察団や、専門誌の記者がよく訪ねてきた。そんな海外からの客を案内するのも若い営業マンの役割である。

 いくつかの造船所を案内してまわり、生産現場でいかに効率よく作業をしてコストの削減に努めているかを説明した。工場を見終えて、記者は君の住んでいる家を見せてくれという。幸い造船所の近くにある新築の社宅に入ったばかりなので、きれいな住まいを見せてやろうと招き入れた。

 自分では狭いながらも満足していたが、立派な家に住んでいる英国人には、小屋にしか見えない。大学を出て大きな会社に勤めている人間が入るような家には、どうしても見えなかったようだ。やはり、こんな狭い家に住まわせて低い賃金で働かせているから、船が安く出来るのだと思ったに違いない。得々として生産効率の良さを強調していたのが、何だか恥ずかしく思われた。

 しかし、それから30年後、そのイギリスの造船所に技術指導をすることになったのである。単に低賃金だけが日本の競争力の源では無かったことが証明されたといってよい。

 日本から何人かのエンジニアが指導のため造船の町、ニューキャッスルに派遣されてきた。仕事をおえて町のパブで一緒に飲んでいると、現地の男が話しかけてきた。

「お前たちは、日本人のようだが、この町に何をしにきているのか」
「ここの造船所に技術を教えにきているのだ」
「おまえは、まだ英語が十分ではないな。習うはto learnだ、to teach ではない」

 イギリスの造船所が日本に技術を教えることはあっても、その逆であることなど信じられないという顔をしていた。

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