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「800字文学館」 政治・経済・社会

憲法と沖縄

大泉 潤

 憲法改正以来六十三年が経った。新憲法が国民生活に与えた最も大きな変化は、兵役の義務が無くなったことがあげられる。明治二十三年施行の大日本帝國憲法では、兵役と納税が義務として明文化されていた。兵役の義務が国民にもたらした災厄は計り知れない。家族を引き裂き、壮丁を極北厳寒、未開の密林へ拉致し、貧しい軍装、栄養不足、雨露を防げぬ宿舎で奴隷同様の生活を強いた。召集令状という一片の通達が悲劇の始まりであった。混乱した本部からの命令、理不尽な幹部の暴力などのため、人間性に欠けた毎日を送らざるを得なかった。留守を守る家族も、貧しい衣食住の中、巨大な爆撃機の襲来を避けるために右往左往し、多くの人が命を失った。

 戦争が終わり、日本は平和国家を目指し、戦争を放棄し、軍備と交戦権を否認する新憲法を定めた。昭和三十五年にはアメリカ合衆国との間に「相互協力及び安全保障条約」を締結した。その第六条には、基地の許与が記されている。軍備は同盟国のアメリカに頼り、日本はGNP一パーセントの約五兆円を自衛の装備、人件費に充てている。もっぱらアメリカの軍事予算五十兆円の傘の下に入ることとなった。

 日本は、日清、日露以来の軍事国家をやめ、平和国家を宣言し、国民も兵役の義務をまぬかれ、勤労と税金で侵略を阻止し、米国に安全を頼り、基地を提供する道をとった。となれば、基地の位置が問題になる。同盟国とのアクセスが容易で、地政学的に危機に対応しやすい場所が選ばれることとなる。

 世界の現状を見ると、大戦後七十年を経ても、地球上から干戈の絶えたことがない。領土をめぐり、資源を争い、信教を旗印に、争いが続いている。平和の象徴国連ビルに世界の衆知を集め、議論しても解決策が見つからない。日本の周辺でも、領海の境界線紛争、ロケットの示威発射、難民の逃亡他の事象が起きている。基地の立地の選択は簡単なことではない。

 基地周辺の方々の騒音、振動、事故などの負担を、全国民が分担する形での解決が望まれる。

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