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「800字文学館」 文学・言語・歴史・昔話

江戸の遊び心

野瀬 隆平

 おもしろい絵が眼にとまった。ちょんまげを結った裸の侍が、それでも刀だけは腰帯に差して、風呂に飛び込もうとしている絵だ。よくみると、「飛んでゆに入る夏のぶし」と書いてある。江戸時代に流行した洒落言葉、地口だ。「飛んで火に入る夏の虫」をもじったものであることはいうまでもない。

 浅草の伝法院通り。庶民的な雰囲気がただよう商店街に、街路灯が建ち並んでいる。明かりの部分が行灯になっていて、その両面にこのような地口が絵と共に書かれているのだ。全部でざっと二十句ほどある。

 江戸庶民の、とんちや洒落の精神は中々のものだ。今の時代に比べて物質的には決して豊かであったとはいえないが、生活を楽しむ術、遊び心という面では、今日の人よりはるかに豊かで優れていたといえるのではなかろうか。

 ところで、この通りには大黒屋という天麩羅屋があり、おいしいとの評判で、開店前から大勢の客が列を作っている。この店のそばにある行灯を見上げると、大黒屋にちなんで、「ゑびすだいこくう(恵比寿大黒)」という地口とともに、恵比寿さんが大根をかじっている絵が描かれている。なるほど、そうきたか。他にどんな地口があるのか、興味のある方は、どうぞ伝法院通りへ。

 言葉はもともと音として生まれ、進化したものだ。字の無かった時代、あるいは文字が書けなかった人は、言葉の音に敏感で、ひびきを大切にしていた。単なる情報伝達の手段ではなく、遊びの対象にもなっていたのだろう。

 駄洒落、親父ギャグといって馬鹿にしてはいけない。江戸の人たちは言葉をただ無機質な道具としてでなく、微妙な感情や機微を表現し、相手に伝える手段とし活用していた。

 現代の我々、どうもあくせくしすぎて、万事に余裕が無い。彼らを見習って、おおらかに構えて、冗談の一つも飛ばせるような心のゆとりを持ちたいものだ。

 江戸時代のこうした庶民の生活を楽しむ知恵は、まさに「恐れ入谷の鬼子母神」といったところだ。

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