政治・経済・社会
深い国際交流
私には大学の時通っていた日米会話学院の友達がいる。週三日計九時間も一緒だったので、大学のクラスメイトより親しくなった。半年のコースが終わった時には二組のカップルが誕生していた。
久美子さんは大人の色気がムンムンの美人だ。「貧乏人って結局貧乏のままなのね」とか政治的に正しくない発言やクールな言葉が、果たして彼女の本心なのか、今でも私にはわからない。そんな久美子さんの御眼鏡に適ったのは丸っこくって人の良い、でも慎重な京大出のエンジニアの啓二さんだ。
二十七年前には北京に駐在していた啓二さんと我々夫婦で中国を旅行した。個人旅行が解禁されたばかりで、とんでもないハプニングだらけの今思い出すと楽しい旅であった。無事旅をできたのは中国語を話す啓二さんのおかげだった。久美子さんはというと「汚い中国なんて旅行したくない」と一足早く日本に帰っていた。
十四年前、アメリカにいる私に久美子さんから手紙が届いた。彼女とお子さんの近況に続き「ところで啓二が死にました」とあった。目を疑って読み返した。海の事故だった。いかにも気丈な久美子さんらしい書き方であった。
彼女は夫亡き後、難しい年頃の男の子二人を立派に育てる一方、自分の趣味に打ち込んだ。べったりした親子関係は彼女の嫌うところだからだ。
「人前で披露できるものがないとね」と言って、セミプロ級のカラオケを歌う。せっかくの英語を生かしたいと市の国際交流のサークルにも入っている。若いアメリカ人のボーイフレンドがいたこともあった。イラン人がビザなしで日本に来られた頃には、イラン人の肉体労働者のセックスフレンドもいた。「イランの男ってきれいなのよね」と彼女はさらっと言う。天国の啓二さんはきっと喜んでいると思う。器の大きな人だったから「さすがに久美子だ」と納得しているだろう。
そんな久美子さんをある時私は「とても深い国際交流をしている人です」と紹介したが、真意が伝わったであろうか。