体験記・紀行文
87年の生涯より(20)ロンドンよりの帰国
七〇歳を目前にした一九九〇年頃より帰国の準備を始めた。快適な英国生活を切り上げて帰国するのには未練もあったが、体力があるうちに帰国しないと難しくなるし、また、永住日本人の悲劇も見聞していた。何よりも決定的であったのは二人の娘、孫は全部東京に居住していることであった。
帰国するには、東京では家の建替、ロンドンでは二十年間にたまった本や資料の整理、家の売却などを同時並行的に行わなければならなかった。まず、旭化成と東京の家の建替を契約、その引渡期日にあわせロンドンより引越し荷物を発送し、九四年三月、引渡を受けた。
この新居の設営は家内に任せ、私はロンドンに帰り、今度は住み慣れた家を売りに出した。見に来る人はかなりおり、中には泥棒もおり、大事な物を取られたこともあった。油断もすきもあったものではない。なかなか売れないので。二回に亙り値引きして、九五年二月、漸く売りぬけた。しかし、引渡の日にさらに千ポンドの値引きを飲まされてしまい、破れかぶれの思いで帰国した。
日本にはまだバブルの残影があった。最も目立ったのは社会資本の充実で、国中にはりめぐらされた新幹線、高速道路網、立派な公共施設などには目を見張るものがあった。特に嬉しかったのは、都市の街路が弱視者でも安全に歩行できるように標識の整備など、社会的弱者に対する配慮が進み、どの公衆便所も綺麗なことであった。一九七〇年代以降のバブルについては否定的な見方も多かったが、私はこの社会資本の充実を見て、もっと肯定的な見方をしてもよいのではないかと感じた。
時代はIT革命の初期、パソコンが急速に普及していた。ロンドンで買ったCanonのワープロを使用しながらパソコンに切り替える時を窺い、九八年、IBM-Aptivaを購入、数ヶ月後インターネットに加入、小学一年生で石盤を使い始めた時と同じ好奇心と喜びを感じながら、ITと言う未知の底知れない世界に入っていった。