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「800字文学館」 体験記・紀行文

87年の生涯より(21)地中海より北欧へのクルーズ

大庭 定男

 「次は平和な海をユックリ航海しよう」―山のような大波にもまれ、敵潜水艦の脅威に脅えながら、東シナ海を南に進む船団の真っ暗な船倉で決心した悲願を、58年後、私は波静かな地中海から北欧への区間クルーズで、果たすことが出来た。

 2001年5月、世界一周クルーズ船日本丸にナポリで乗船、地中海から大西洋に出、多くの港に寄港後、初めてキール運河を通過、サンクト・ペテルブルグまで進み、反転、北欧の港に立ち寄った後、船はベルゲンより大西洋を越えて米国に向かった。私と妻はベルゲンで下船、アムステルダム経由帰国した。

 一ヶ月足らずの旅であったが、その印象は強烈で、現在でも折に触れて思い出すことが多い。

 その最大なことは「日常性の脱却」。全学連が使った言葉と記憶するが電話も、手紙も、来客も一切ない。あるのは果てしなく続く海原、時に見られる鯨の潮吹き、船側を飛ぶイルカの群れだけである。

 それでは、退屈してしまうかというに、正反対でかなり忙しい。先ず、三度の食事以外におやつ、小夜食など四回食べれる。映画、ダンス、講演、マージャン、デッキゴルフ、パソコン講習など、参加できるプログラムも多彩である。

 日本丸は「動く高級老人ホームの感で、乗客の最高89歳(マージャン三昧)平均68.5歳。映画で見るような美男美女がロマンスの花を咲かせる雰囲気とは程遠いものがあった。

 また、世界一周三回目、四回目という夫妻も随分いたのには驚いた。毎年、千四百万円(デラックス部屋)から最低数百万円と百日という月日を費やしてクルーズを続けているリピーター達で、彼等には同窓会的雰囲気もあり「この船に乗ると我が家に帰ったような気がする」という。飛行機旅行に比べ、空港往復、トランクの開閉も必要なく、団体生活もプライベートなひとりの生活も出来るなど、「群衆の中の孤独を求める人たち」にはピタリであるからであろう(14-7-2010)

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