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「800字文学館」 日常生活雑感

幼児の記憶

稲宮 健一

 戦時中の記憶を基にエッセイ『疎開』を書いた。人から昔のことを良く覚えていますねと言われ、根がおっちょこちょいなので、図に乗り、記憶のずーと底を探ってみた。

 よちよち歩きの自分の姿が浮かんでくる。冬だったのだろう、厚い茶色の毛糸のセータを着て、縁側の外側を歩いていたが、足がもつれ庭に落下し、すごく痛いと感じたことを覚えている。古い民家の廊下は五〇センチ程の高さがあったが、霜よけの藁ござが地面に敷いてあったので大事には至らなかった。

 幼児の頃、体が弱かった。母から肺炎で、九死に一生を得たとよく言われた。その時の病床に横たわって、少しはすに見た窓越の灰色のどんよりした寒空が記憶に焼きつている。窓は細いスリット状で、黒い細い金属製の枠で短冊のような空間が作られ、狭い幅の中の空間は天井まで見通せた。病院は市電局病院、今の都立広尾病院である。多分、三歳頃の冬か。当時難病の肺炎であったが、母が内緒で、こっそり飲ませた梅肉エキスで熱が下がり、退院したと何遍も聞いた。

 同じ頃だろう、我が家では由比ヶ浜近くに海の家を借りていた。真夏の暑い日、江ノ電の長谷駅を通り過ぎると、海に通ずる細い道の両側は民家の高い塀になっていて、その道の奥に真っ青な空と、さらに濃い青い海が見えてきた。強烈な真夏の色のコントラストを覚えている。祖父に抱かれて海に入ったが、祖父が腰までつかると、これが怖くて、火のつくように泣いたのを覚えている。

 三島由紀夫は『仮面の告白』の中で、産湯の時のたらいのふちの木肌がまばゆく輝くのを覚えていると言っている。本当の記憶なのか、何かうっすらと脳裏に残ったものが、後年、実際に見たたらいのイメージと重なり、あたかも産湯の時の様子として文章に表したのか。三島は最後には、自分の頭の中のイメージが現実であるかのように思えて、そのイメージの中に消えて行った。

 さて、皆様の幼少時の残像はお持ちですか。

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