体験記・紀行文
88年の生涯より(22) 深まるオランダとの関係
一九九九年、オランダ独立法人NIOD(オランダ戦争資料館)は「日本のインドネシア占領展」を国立博物館(アムステルダム)で開くことになり、日本の関係者に協力を求めてきた。当初、関係学者に当たったが、求める資料に適当なものは無く、次に旧軍関係者に協力を依頼してきた。
まだ健在であった戦友会は、「反日感情が強いオランダだから、どんな資料を出しても否定的に扱われるに決まっている」と協力に反対であった。しかしながら、私は、「インドネシア独立戦争の過程で日本軍はオランダ人の生命財産を守り、英軍撤退後はオランダ軍の下できつい、汚い、危険な作業を行った。この事実をオランダ国民に伝える絶好の機会だから積極的に協力しよう」と決心し、奇跡的に持ち帰れた日記(一九四六年六月より約一年)、随想、写真などを提供、展示された。
私は友人と渡蘭、八月一日の開会式で「戦中に収容所での苦労は充分わかり、同情する。これは救援物資輸送船が撃沈されたことなど数々の原因があった。反対に、戦後、我々日本軍が受けた報復的取り扱いは国際条約に反するひどいものであった」というスピーチをしたところ、日本政府に補償を求めて活動している団体の会長は「そうわ言はれるが、あなた方が苦労したのは二年だけ、我々は三年半」と反論、在留邦人よりは「良くぞ言って下さった」と感謝された。現地のマスメデイアはこの講演を大きく報じた。
公開された展示のなかには昭和天皇御訪蘭時の度を越した激しい抗議活動など、日本人として受け入れがたい展示もあったので、主催者に再考を求めた結果、一部は撤去された。NIODは引き続き、日本国内での展示を計画していたことも考慮されたのだろう。日本では翌年に数都市で、小規模のものが展示された。
この展示を契機として、オランダのテレビ、新聞などのインタビューを受けることが多くなり、私のオランダとの関係は深まっていった。