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「800字文学館」 日常生活雑感

保高みさ子さん

大越 浩平

 今年七月、保高みさ子さんが享年九十六歳で亡くなった。昭和八年に創刊した同人誌「文芸首都」を主宰した故・保高徳蔵氏の妻だ。みさ子さん二十五歳、徳蔵氏五十歳の時結婚した。「文芸首都」は、芝木好子、大原富江、北杜夫、なだいなだ、佐藤愛子、中上健次氏らの作家を育て、日本で最も長く続いた作家育成の同人誌だ。

 私は中学時代長男・英児氏と同級生で、参宮橋の自宅によく遊びに行っていた。いつ伺っても文学好きの男女が議論し、焼酎がある。いがぐり頭の子供が、部屋の片隅で、話を聴いていても誰もとがめない不思議な家だった。

 佐藤愛子さんがやって来ると座は一段と華やかに盛り上がり、貫禄たっぷりで同人達の女王に見えた。遊びに行くとみさ子さんは私達におやつを出し、訪問者の接待をしていると、突然卓袱台を持ち出して、一心不乱に原稿に向かっていた。

 当時の娯楽誌、「平凡」と「明星」に人気ページがある。読者の投稿した性の悩みに回答する相談コーナーだ。平凡は、常安田鶴子さん、明星は保高みさ子さんが回答者だった。常安さんは産婦人科の医師、みさ子さんは作家、同じ様な相談でも回答にニュアンスが異なるのが面白かった。そんな原稿に追われていたのだろう。

 みさ子さんは、同人誌の発行業務、来訪者の接待、飲食調達、そして三人の子供達の母親でさらに作家だ。文芸首都と家庭を、みさ子さんのペンが支え、心身ともに疲労困憊しているように思えた。

 子供達は母親の文学への思いと、家庭を両立する苦労を痛い程感じていた。そして父、徳蔵氏の「目隠しした馬車馬のように滅茶苦茶前進する情熱」が子供達の不満や、弟達、妻達、友人達の借金の苦労を覆い隠していた。

 文芸首都は徳蔵氏が病に倒れ、みさ子さんが引き継いで、昭和四十四年に終刊した。彼女は晩年徳蔵氏を敬愛し、新しい歩みを始めた。そして子供達、孫達に囲まれ安らかに大往生した。

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