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「800字文学館」 体験記・紀行文

芋焼酎の話

古川 さちお

 鹿児島の片田舎で芋焼酎(イモジョウチュウ)の香りに包まれて生まれ育った。そこでは酒という言葉は一般的でなく、代わりにショツ(焼酎)が使われる。飲み助は『ショツ飲んゴロ(焼酎飲み野郎)』である。他県から来た人が飲み屋で「お酒おくれ」と言うと、「ウチには日本酒がありません、焼酎しか置いてないのですが」とくる。土地の人間のほとんどは、日本酒を飲むどころか見たこともない。しかし、芋焼酎は鹿児島県・宮崎県の特産品だ。格安で手に入り、皆よく飲む。

 戦前は専売局の見張りのきかない農家などでは、自家産のカライモ(薩摩芋)と米麹で、簡単な道具を使い必要なだけ焼酎を作ることができた。筆者の祖父は焼酎で身上を潰すという『飲んゴロ』だった。父は一滴も飲まない下戸。
 隔世遺伝だろうか、わが兄弟姉妹は全員が飲み助、その中で筆者はアルコールに一番弱い。

 初めて焼酎に酔ったのは五歳のときと記憶する。家で何かの宴会があり、大人たちの杯でも舐めたのか、すっかりいい気分になった。客人たちの中に分け入って出鱈目と思われる歌と踊りを披露する。拍手喝采。その場は怖い目で睨む父の前で母に取り押さえられたが、後が大変だった。

 宴会が終わった後、眠い目をこすっているところを、突然父に捕まえられる。
「何だお前は、子供のくせにショツなんか飲みやがって」
そのままカマスに入れられ、長押(なげし)に吊るされた。
「悪うごわした。二度としもはんで」と、いくら謝っても黙って寝てしまう。
夜中、母親がやって来て助けてくれた。親父に折檻されたのは後にも先にもその一回だけで、その後は一度も怒られていない。

 古い話、妹とその教師仲間数名がパリ駐在中の筆者を訪ねてきた。多忙で大した世話もできなかったのに、後日お礼として航空便で好物の芋焼酎を送ってきた。そのとき送り状を見て吃驚したのは、運賃が品物の四十倍ほどだったことだ。嬉しいやら、お気の毒やら、飲み助は当惑気味だった。

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