作品の閲覧

「800字文学館」 仕事がらみ

日本航空の成長期(3)(ジャンボ機時代)

都甲 昌利

 1970年6月1日、ボーイング747ジャンボ機が羽田に到着した。全長70メートル、全幅59メートル、全高19メートル、自重150トン、最大座席数525。DC-8型機の1・5倍に達する空前の巨大な航空機が日本に姿を現したのである。新聞・テレビなど報道関係者の取材は物凄かった。「こんな金属の塊がよく空に浮くねェ」「こんなのが落っこちたらどうなるんだ」と様々な声が聞かれた。
 ボーイング社は安全面でも最大の注意を払った。構造上はもちろん慣性航法装置、自動操縦装置、気象レーダー、人工衛星利用の通信装置、二重三重の装置を組み込んで高度な安全性を実現したといわれた。「ジャンボは落ちない」と航空関係者の間では神話が生まれたほどだ。しかし、15年後の1985年8月、この神話が崩れるとは、この時誰も夢想だにしなかった。

 ジャンボ機導入により供給数が増え、それに見合う需要があるかどうか危惧されたが、1970年は世界的に高度経済成長期で日本でも大阪万博が開かれ、夏場の旅行シーズンも活気を呈し、平均座席利用率は72%という実績でまずは好調な滑り出しであった。
 ジャンボ機の導入は様々な波紋を呼び起こした。大型機を駐機させるための搭乗口の大型化、大勢の乗客をさばく空港での搭乗手続き、手荷物のローディングなど空港施設を根本から変えた。定時に出発させるため航空会社としてはこうした課題を解決しなければならなかった。

 搭乗手続きを更に遅らせる事態が起こった。羽田を飛び立ったボーイング727型「よど号」が日本刀を持った赤軍派学生にハイジャックされたのだ。直ちに「銃砲刀剣類機内持ち込み禁止」が法令化され、ハンドバッグや書類カバンまでもがX線検査をされた。定時制を優先するか、安全性を優先するか、空港職員の悩みでもあった。

 その後、燃費の良いB-767型やB-777型が製造され、ジャンボ機は今や退役の運命にある。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧