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「800字文学館」 仕事がらみ

賄賂

中村 晃也

 今は昔のことではあるが、インドネシアのスラバヤ工場から、事故で製品の出荷が遅れるとの連絡があり、担当の部長が緊急に現地に飛ぶことになった。飛行機のチケットの購入を依頼された秘書は、「パスポートの有効期限があと二週間しかなく、先方で入国許可が下りそうもないので、出張は無理ですわ」と抗議した。彼は「大丈夫だよ。期限が切れている訳ではないんだから」と答えた。「いいえ、この前も、入国できなくてシンガポール空港の牢屋に入れられた人が居ます。緊急だったので先方の担当者に空港まで出向いてもらって、格子越しに打ち合わせをしたという話です」

 三日後に彼は、出張の結果を報告に来た。「無事に入国できました?」とまず秘書が心配そうに尋ねた。「うん、入国はできたよ。ところで中村さんにお願いがあるんだけど」と彼は秘書を見やった。「お茶をもってきます」と秘書は気を利かせて部屋を出て行った。

 「いやまいりました」と彼は打ち明けた。
 スラバヤ空港の入国管理の検査官は、愛想よく「ハロー。フロム東京?アイラブ東京」と笑いながらパスポートをチェックした。が、突然態度を一変させて、「パスポートの有効期間が少ないので入国は許可できない。次の便で東京へ帰りなさい」と怒鳴った。彼は、予め本の裏に用意しておいた五千円札を、こっそり渡した。反応は意外だった。検査官は五千円を頭上にひらひらさせて「なに、五千円だけか?」と大声を出した。他のゲートの検査官はニヤニヤ笑って成り行きを見ている。このあわれな日本人は「それなら幾らなら?」と尋ねると「二万円」との返事だった。

 「それでお願いというのは、その二万円を会社の経費で落としたいのですが」。丁度その時秘書がお茶を持って部屋に入ってきた。「馬鹿言え。外国の官僚に渡した賄賂を、会社に払らえだなんて。経費に賄賂なんていう費目はないぞ」。秘書の手前そう言ったが、あとで彼の交際費の枠を二万円増やしてやった。

 勿論、二人でその全額を飲んでしまったが…。

(完)

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