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「800字文学館」 日常生活雑感

杏子

平尾 富男

 我が家の小さな庭に、背丈四メートルの杏子の木が植えられている。幹の太さも最大部分で三十センチを超える。

 家を建てた当初、木斛(もっこく)を植えた。常緑樹が欲しいと願った私の意志を汲んで庭師が選んでくれたからだ。木斛は確かに一年中濃い緑の葉を茂らしてくれてはいたものの、図体ばかり大きくなって、鑑賞に堪える花を咲かせるわけでもなく、その果実で舌を楽しませてくれるでもない。それに飽き飽きした家内が業を煮やしたのは十年以上も前のことだ。
 散歩の途中で立ち入った近所の植木屋で、直径十センチほどの杏子の木が家内の目に止まった。薄いピンクの小さな花をたくさん付けていた愛らしい姿に惚れ込んでしまったらしい。植え替え作業を含めた値段交渉を始めた家内の意気込みに、私も植木職人もすっかり負けてしまったのを覚えている。

 どんよりとした冬空を背景に、霞がたなびくように花を咲かせていた梅の花が春の訪れを待てずに散ってしまう。そのころになると、杏子は枯れ枝を一斉に芽吹かせる。そして冬寒が緩み始めると、淡いほのかなピンク色の花をあっという間に咲かせる。背景となる空の色も、梅見時よりも一層明るさを増し、一本だけでもその存在感を淑やかに見せつけてくれる。
 春先のほんの短い間、目を楽しませてくれる淡紅色の杏子の花が散ると、後に続くのは同様に命短い桜の花の季節である。六月頃に熟す杏子の実は少し小ぶりの桃に似ている。口に含むと感触は柔らかく、あまり甘くない独特の酸っぱさは、ジャムにするのが一番だと家内は言う。

 最近家の近所でも、柿や石榴の実をたわわに付ける樹木が目立ち始めている。ところが家内に似て胴回りも貫禄が付いた我が家の杏子の木は、一昨年ころからめっきり実をつけなくなった。散る花の風情は好いが、秋口からの大量の落葉で庭の掃除の回数が増えて辛いと、家内が苦情を言い出し始めた。

 来年は植え替えたい。飽きっぽい声が聞こえてくる。

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