体験記・紀行文
ボージョレワイン
十年十二月
かって勤めていたJVの本社はフランスの古都リヨンにあった。会社の接客施設は、褐色の石造りの建物で、ボージョレワイン地帯を一望できる丘の上にあった。料理が抜群で誰もが招待されることを願っていた。
そこで催された食事会で、私の隣に座ったのは、ボージョレワインのテイスターだった。毎年十月末になるとボージョレ各地からワインが集められ、彼を含めた六人のテイスターが試飲をして、彼らのコメントによって部屋の隅に陣取った卸商がその年のワインの価格を決めるのだそうだ。
「どうやってワインの格付けをするの?」私が質問した。「五感を全部使うのさ。先ずグラスに注がれたワインを良く見る。色、透明度、澱の有無、グラス壁に上がった蒸気の量…。次に香りだ。鼻をグラスに突っ込んで胸いっぱい吸い込む」「中村さん、もっと鼻をワインに近づけて」と彼は言ってまさに嗅ごうとしている、鼻の低い私の頭を上からぐっと押さえつけた。
「ワインは一口含んで体温程度に調整してから、舌の両側に移して苦味がないかをチェックする。次にうがいをするように咽喉の奥に運んで刺激の有無をみる。最後に一気に飲み込んで鼻に抜ける不快感の程度を見るのだ。この感度は科学機器のガスクロメーターより敏感なんだ」
化学専攻の私を意識しての、彼の説明の最中にも、えり抜きの料理はドンドン運ばれ、我々以外のものはせっせと平らげている。
「ボージョレイはシュプリエール、ビラージュなどグレードはあるが、実はもっと北のマコンのほうが味がいい。それは…」彼の話はまだ続く。
他の人はデザートを終えてコーヒーを頼んでいるが、我々の前は手付かずの皿が並んでいる。
「結局のところ、ワインはいくら飲んでも頭にこないものが最良なんだ」と彼は締めくくった。
ほとんどの垂涎ものの料理をスキップして、コーヒーしか飲めなかった私はこう言ってやった。
「メルシー、ワインの話も頭にこない程度の長さが最良だね」
(完)