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「800字文学館」 日常生活雑感

行く秋の日に

濱田 優(ゆたか)

 雲ひとつない青空の下、行く秋を惜しみつつ黄金色に輝く銀杏並木を歩いて、母校のキャンパスの一角に建つ約束のレストランに向かった。
 大学に入って半世紀、いまだにそのころの仲間が会うと瞬時にタイムトンネルを抜けて往時に戻る。このごろ、気の合う友だちと昔話に興じるのが無上の楽しみになり、三人の学友を誘って久ぶりに母校を訪問することにした。

 顔を合わせるや懐古談の花が咲いたが、キャンパスの中の話は意外に少なく、夏休みのグループ旅行の話で盛り上がった。
 四国編と東北編があり、それらの地方から出てきた学友たちの家を、数人で訪ね回ったときの体験談だ。友だち同士で大旅行を初体験したことは強烈な印象を残したようだ。誰かがそのときのエピソードを一つ語りだすと、それに触発されて次々に各自の思い出が甦り、話が尽きない。

 語らいの後半は、話が少し湿っぽくなった。指折り数えると、欠けた級友は二割におよぶのではないか。仲間褒めでなく惜しい人が亡くなっている。

 せんない駄弁ろう会に結論なぞあるはずもない。が、総じて私たちはいい時代を過ごした、という認識は一致している。
 といっても、個々のレベルでは思い通りの人生を歩めたと満足する人はほとんどいない。ある人は勤めた会社が何度も吸収合併されて会社の主流から外れ、ある人は出世したものの、株主利益最優先の嵐に翻弄されて不本意な上がりとなった。
 以前、高校のクラス会で、「何とか崩れという人の話の方が面白い。自分も学者崩れだ」と述べたのは、級友で作家として名を成した古井由吉君である。
 人生、志とは違っても自分が行き着いたところを素直に受け入れ、残りの人生を前向きに考えることがシニアライフの要諦かもしれない。

 家に帰ると「男同士でどんな話をしたの」と連合いが皮肉っぽく聞く。
 「諦観と受容が肝要という人生論だ」と私は重々しい言葉を選んで返す。
 「あら、あたしはとっくに諦めて堪えてるのよ」連れはすかさず宣った。

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