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「800字文学館」 体験記・紀行文

奄美に消えた友

古川 さちお

 戦前、奄美大島や徳之島からはるばる渡航してきて、内地(当時はそう呼んだ)の学校で学ぶ少年は多かった。特に近間の九州鹿児島の学校には、遊学の少年が少なくなかった。筆者の中学でも同学年に二名おり、真面目に勉学にいそしんでいた。元井政太郎君と宮本良賢君だ。
 元井君は同クラスで席も近かったのに、重要学課「武道」で彼は柔道部、筆者は剣道部だったため、あまり親しい交流はなかった。反対にクラスの違う宮本君は剣道部、しかも下宿が近かったので相当親しくした。
 宮本君の剣は守りに長けて、こちらが打ち込もうとすると、竹刀を左上から斜め右下にがっちり構えて、なかなか相手に付け入らせない。筆者は常識はずれの低姿勢から「面」を打つそぶり、相手の空いた「胴」に一閃を与えて勝ったものだ。長身の彼は、低身長者のこの作戦には、どうしても勝てずに悔しがった。
 授業を離れると、宮本君は奄美の空手道を披露する。草相撲などで、いくら体当たりを食わせようとしても、一瞬速く手首を捉まれて、こちらは身体の自由を奪われる。捉まれた手首は、なかなか解きはなせない。これにはコツがあるのを簡単には教えてくれなかった。

 敗戦間もなく、進駐軍が街に溢れはじめた頃、元井君らは奄美に帰ることになる。その際、彼らは腕で大きくガッツポーズをして「俺たちはアメリカ人になるんだ」と叫び、その顔は喜びに満ちていた。宮本君は、例の手首離しのコツを教えてくれた。そして見返りに、「あの『まやかし胴』のコツを教えてくれ」と言う。

 大したコツを知らない筆者は、小さな声で、「あれは『くり返し練習する』というのがコツと言えばコツだよ」と伝えたのを思い出す。

 一九五三年、米軍が持て余した奄美群島は、鹿児島県大島郡として日本に復帰した。沖縄返還に先立つこと二十年前だ。しかし、懐かしい島っぽ二人の消息は分からない。内地への密航を企てて、米軍に逮捕されたという噂もあった。

[完]

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