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「800字文学館」 文学・言語・歴史・昔話

寺内町(じないまち)と日本資本主義の精神

上原 利夫

(一〇・一二・二一)

 大阪府富田林(とんだばやし)市に、中世の宗教自由都市といえる寺内町(じないまち)が残っています。寺内町は畿内に二十七ヵ所あり、富田林のものは興正寺(京都西本願寺に隣接)の別院を囲む四百㍍四方の町です。四百五十年前に真宗の証秀上人が造りました。

 寺内町は、門徒(真宗の信徒)の商人が集まった町で、いま残っているのは大阪の富田林と奈良の今井の二ヵ所です。商人は武士の暴威から逃れ、親鸞の教えに従って南無阿弥陀仏を唱え、安住しました。しかし、殆どが信長に壊滅させられました。中立を守った富田林は残り、家康が幕府直轄地とし、周辺の産物を在郷町にしました。日本の資本主義はこの時期に生まれているので、江戸中期の石田梅岩の石門心学や近江商人の三方(さんぽう)よし<売り手よし、買い手よし、世間よし>は、寺内町から派生したのではないでしょうか。

 資本主義の精神はプロテスタンティズムの倫理であると説いた(1920年)マックス・ウェーバーですが、日本の資本主義は徳川時代の宗教に根ざしていると考えたようです。アメリカのロバート・ベラーが掘り下げています(1985年)。しかし、彼らは寺内町にまだ触れていません。

 五十年前に富田林杉山家の古文書が京都大学博物館へ寄贈されてから、寺内町の研究は進んでいます。明治以前の日本の資本主義が寺内町で親鸞の影響を受けておれば、真宗の教えである「もったいない」や食前の「いただきます」など質素倹約と報恩感謝の美風は、日本の資本主義の精神として、世界から注目されることでしょう。

 いま富田林寺内町のハイライトは、古い町屋と町の設計、明星派の歌人石上露子(いそのかみつゆこ)と彼女の生まれた「旧杉山家住宅」(国の重要文化財)です。大阪育ちの私が七十五歳で知った寺内町ですが、そこに日本の資本主義の精神が根ざしているように感じます。

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