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「800字文学館」 日常生活雑感

「呑ミ足リテ」

野瀬 隆平

 お正月、ほろ酔い気分でパソコンに向かい、この原稿を書いている。
 酒好きなことを知っている知人から、暮れに贈り物が届いた。日本酒のセットだ。日本各地の銘酒が十種類、それぞれ300mlの壜に入れられている。ラベルを眺めて見ると、知った銘柄もいくつかある。その地方を旅行したときのことが、飲んだ酒の味と共に想い出される。
広島の「酔心」、山梨の「七賢」などなど。
 その中に一本、見慣れないラベルが貼られたものが目に留まった。何という酒なのだろうか。銘柄の文字が図案化されていて、読みかたがすぐには分からない。真ん中の「口」を取り囲むように漢字が並んでいる。上下方向に「呑」と「足」、左右には「知」、「味」と読める。いずれの文字も「口」が含まれていて、この四文字が「口」を中心に配置されているのだ。どう読めばよいのかと考えていたら、下の方に小さく、「呑ミ足リテ味ヲ知ル」とある。なるほど、洒落たことをするものだ。ボトル裏の表示を見ると伏見の松本酒蔵で造られた純米酒で、精米歩合65%とある。

 どんな味がするのか、楽しみに取っておいたこの酒を正月に呑んでみた。当ては焼いた海苔である。酒の味を見るには、あまり濃い味の肴ではだめだ。辛口ですっきりとしており呑みやすい。ラベルを眺めているうちに、「口」を取り囲んで、四文字が並べられた「吾唯足るを知る」を連想する。「知足」という言葉は、古くから中国にある。確か最初に言ったのは孔子だったか。その後、清代になって、穴あき銭で「知足銭」が造られた。銭の穴、「口」を四文字が取り囲んでいる例の硬貨だ。
 呑んでいるうちに、京都の竜安寺にあった蹲いにも、この文字が彫られていたことを思い出す。水戸光圀が寄進したものといわれている。こんなことを取りとめも無く思い起こしながら酒を楽しんだ。「知足」などと難しいことを言うまでもなく、酒がうまければ贅沢な料理などなくても「味ヲ知ル」ことは出来る。

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