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「800字文学館」 体験記・紀行文

戦艦「三笠」

野瀬 隆平

 磨き上げられた木甲板の上に立つと、艦上で命をかけて戦った人たちの熱い思いが、足元から伝わってくるような気がする。日本海海戦で旗艦として活躍した戦艦「三笠」の艦上にいる。

 「天気晴朗なれど」寒風吹く日に、高校のクラス・メートが集い横須賀を訪ねた。先ずは、桟橋から遊覧船に乗って湾内を巡る。自衛隊やアメリカの艦船が何隻も繋留されており壮観である。韓国との合同演習を終えたばかりの原子力空母、「ジョージ・ワシントン」の姿も見える。海側から眺めると、より一層巨大さが際立ち圧倒される。
 軍港としての横須賀の全体を見て取ったあと、海に面した公園に保存されている「三笠」に向かう。保存会の理事長をしている高校時代の同期生が、案内役を買って出てくれた。艦内には日露戦争前後の歴史や、国を守るために命を捧げた人たちの生き様が、分かりやすく展示されていた。ブリッジの上に昇って艦を見渡す。海戦のときに東郷司令長官や秋山参謀が立っていた位置にマークがついていて、そのときの様子を生々しく思い起こさせる。艦の長さはおよそ122m。先ほど見てきたイージス艦の165mよりは短いが、明治35年にイギリスで建造されたこの船は、当時としては最新鋭の軍艦であった。
 第二次大戦で敗れたあと、横須賀に繋留されていたこの船は、艦上の構造物が取り壊され、代わりにアメリカ軍人の娯楽施設が作られた。その名も「キャバレー・トーゴー」だったという。しかし、あわれな「三笠」の姿を憂いて、復元しようと考えた人たちがいた。日本人のみならず、アメリカのニミッツ提督もその一人であった。多くの人の努力の甲斐あって、艦は昭和36年に復元され今日に至っている。
 案内してくれた友人が別れ際に、見学者が多いのは有り難いけれど、若い人たちの中には日露戦争と太平洋戦争と区別できずに、「三笠」と「大和」、「東郷」さんと「東条」さんとを混同している人がいると嘆いていた。

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