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「800字文学館」 日常生活雑感

殺戮と美味の夕べ

志村 良知

 和歌山の友人から「会社を設立する。ついては洒落た社名を付けてくれないか」という依頼があり、知恵を絞ってフランス語の名前を付けて差し上げた。やがて無事登記を済ませた、という報告と共にとんでもない物を送って来た。箱入りの生きた伊勢海老である。うーん、金持ちの友達は持つものだ、としばしの感慨。 取り寄せておいた刺身蒟蒻の出番は無くなり、その晩は出刃と柳刃が閃く殺戮と美味の夕べへと変わることになった。

 箱を開け、びっしり詰まったおがくずをかき分けると伊勢海老が五匹ぞろぞろと出てくる。

♪ 嬉しい様な 怖いような
♪ どきどきしちゃう 私の胸

 ギーギー音を出しながら動く伊勢海老を食べられるようにするには、捌くというより壊すという方がふさわしい出刃包丁での力技になる。家内は「何もかもが怖い」とか言って台所にも寄りつかないので「俺は出刃包丁での荒仕事も凄いよ」と脅しておく。

 初めは何と言っても刺身で食べたい。二匹を捌き、生わさびを調達して来て鮫皮のわさび下しで下す。 なかなか飲む機会が無くて、少し古くなってしまった感がある九七年リクヴィール産グラン・クリュのリースリングを抜き、美味と美酒に酔いつつ友に電話して門出を祝う。「迷惑や無かったですか」と不思議な質問をする友に「なんで」と問い返すと、以前遠方の親戚に送ったところ「あんなものを貰っても殺生はしたくない、もう送ってくれるな」、と抗議されたのだという。そういう反応もあるかとまた感心する。

 その数日前、テレビで伊勢海老の干物というものの存在を知ったばかりでもあった。その作り方は尻尾の腹側に生きたまま切れ目を入れ、濃い塩水に漬け、ひっくり返して日に干すというものであった。それは究極の動物虐待ではないかと画面に向かって毒付いたのであるが、いざ材料が目の前にあると、試して見るか、などという悪心がうずく我が事が恐ろしい。 結局干物は思いとどまり、残り三匹も刺身で食べた。

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