体験記・紀行文
グリーンおばさんの親切
第一次オイル・ショックの翌年の一九七四年、私は会社の研修でイギリスに派遣された。住んだのはロンドンの南のサービトンであった。近所の住人は、グリーンさん、ホワイトさん、ライオンさん、と覚えやすい名前ばかりであった。先輩のアドバイスに従い、最初に挨拶を交わしたグリーン家と交際することに決めた。グリーン夫妻は日本の良き時代の老人を思わせる親しみやすさを備えていた。ご主人が鉄道技師でインド滞在が長くご夫妻ともに国際センスに富んでいた。ご主人は身体が不自由で家にこもり切りであったが、グリーンおばさんは毎日のように私たちの家に遊びにやって来た。子供たちにやさしい英語で話しかけてくれるので、一番末の二歳の娘までがたちまち、きれいな発音で「ハロー」と言えるようになった。家族がイギリスに滞在したのは八か月ほどであったが、四歳の息子と六歳の娘は元気に学校に通い、しっかりと英語耳を身につけた。
グリーンご夫妻は、私たちが日本へ引き上げる前夜、自宅で私たち一家に送別のディナーをご馳走してくれた。明日からは遠い日本に帰国し再び会うこともない私たちである。しわの多い手で料理を盛ってくれるグリーンおばさん、それをにこにこ見守るご主人。私たちは言葉も出ず、ただ静かに、料理をかみしめた。
グリーンおばさんは、その上、私の子供たちが飛行機の中で退屈しないようにと、お土産まで用意していてくれていた。グリーンおばさんの足は日光の不足による骨の発育不良で異常に太くなっており、普通に歩くのも大変である。そのグリーンおばさんが太く重い足を引きずり、春のぬかるんだ広いコモン(芝生の公共広場)を横切って、その先にある文房具店まで色鉛筆と落書き用のノートを買いに行ってくれたのであった。