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「800字文学館」 体験記・紀行文

88年の生涯より(28)運・不運

大庭 定男

 八八年を顧みて幸運な生涯であったと思う。特に、五年余りの従軍期間中には危ないこともあったが、怪我ひとつしなかった。また、戦後、インドネシア独立戦争に部下が巻き込まれ、絶望視されたこともあったが無事生還した時の事や、タンジョンプリオク港で、リバテイ船(米国の戦時標準船)の甲板作業で、鉄製の大きなビーム(横梁)に飛ばされそうになり、危うく一命を取りとめた事などは、その後、永くトラウマとなった。

 一九五〇年代半ばのハンブルグ勤務時代はVW(フオルクスワーゲン)でアウトバーンを一二〇キロで走るのが領事館に知れ、総領事から「総領事命により百キロ以上のドライブを禁止する」と冗談交じりに言われたこともあった。単身赴任の気安さと、若干のフラストレーションの産物であったが、それでも事故と言えるほどのことは経験しなかった。神仏、特に両親始め家族の加護によるものであると信じている。

 しかしながら、加齢による身体機能の衰え、注意力の減退は如何ともしがたく、先般の熱海研修旅行の帰り、バスに乗ろうとしたところ、転倒、足首に怪我をし、最近まで医者通いをした。「転ぶな」は老人にとり最も重要な事は重々承知し、また、注意していたが、それでも事故は防げなかったのである。

 小学校以来の多くの学友、青年時代の戦友、会社員時代の社友を見ていると運、不運がはっきり判る。幼くして両親は離婚、青年となり、入営を前にして、恋しい母親に会いにいったが、会ってくれなかったという友がいる。彼は落胆、暗い心を抱いて戦地に向かったが、戦死してしまった。なんという不運な、短い一生であったことか。

 「禍福は糾える縄の如し」という。私は今までの幸運な人生を神仏、家族、友人たちに感謝するとともに、これからはさらに注意深く生き、与へられた生命を全うするよう努力したい。これこそが、八八歳まで護ってくれた多くの人々の恩にむくいる道であると信じている。

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