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「800字文学館」 日常生活雑感

ウナギの生まれ故郷

古川 さちお

 最近に至るまで、ウナギの産卵場所は分からず、数千年来その生まれは謎とされていた。ソクラテスなどは「ウナギはドブの中で発生し、育っていく」などと、不可解な説をとなえたそうだ。
 ところが、先日の新聞報道によると、今まで見つからなかったウナギの卵が、マリアナ海溝付近で見つかり、そこがウナギの産卵場所と特定された。従来、卵が見つからないために、卵からの完全養殖ができなかった。今回の発見で完全養殖が見込まれるので、養殖は革命的に進歩、生産量の増大も期待できるだろう。
 そこで思い出すのは、パリ駐在中、フランス西岸で獲れるシラスウナギを、日本の養鰻業者向け輸入仲介したことだ。シラス不漁の年には、どうしても輸入で補う必要があった。
 大西洋産シラスも学名「アンギラジャポニカ」といい、日本が養殖に供する太平洋産と同一種である。日本近海でシラスが不漁の年には、大量輸入されたので、ウナギの蒲焼が日本人の口から遠ざかることはなかった。

 シラス輸入には苦難の歴史がある。シラスをドライアイスで眠らせ、航空貨物として日本に運び、解凍後、生きている数だけ養殖池に入れる。かつて日欧間の民間航空便はアンカレッジ経由のため時間が掛かりすぎた。うまく行っても、生存率70パーセント、運が悪いと100匹のうち数匹しか生きていないことがあり、これではコスト的に問題外だ。
 養鰻業者は死んだシラスには金を払わない。フランスの輸出業者D氏はロワイヤン市郊外で零細な漁師を使い、夜半午前二時頃からシラスの選別作業を行なう。強そうなシラスだけを冷凍で眠らせ、午前八時にはオルリー空港に運んで、日本向けJAL機に積み込んでいた。

 モスクワ経由便が開始されると、日本向け生存率は飛躍的に上がり、90パーセント台を常時保持した。
 シラス輸出は時間との戦い、かつてブラジル向けはコンコルド機を使い、日系人に蒲焼を可能とし、大喜びさせたと言う。しかし、鰻の故郷がわかり、日本向け輸出がなくなれば、フランスのシラス輸出も無くなるだろう。

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