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「800字文学館」 日常生活雑感

友人とベイルート

平尾 富男

 友人がベイルートに赴任したのは1974年の春である。私がニューヨークに転勤になって半年後のことだった。
 ベイルートから届いた手紙には、中東のスイスと呼ばれていたレバノン、その首都で中東のパリと表されていた当時の美しい市内の情景が綴られている。
 古代カルタゴの女王の名に因んだ伝説のカフェ『エリサール』に入ったときの喜びと驚きが便箋の上で踊っている。店内の壁という壁にはミロの作品を始めとし、沢山の現代絵画や古い写真等の芸術品の数々が飾られていたと書かれていた。
 そのわずか一年半後には、政権内部の主導権争いに端を発し、イスラム教とキリスト教の宗教間の抗争を巻き込んだ内戦の火蓋が切られる。友人の初めての海外生活は、突然夢のように消え去ったのだ。
 内戦勃発前には、オイルダラーを求めて欧米諸国や日本が中東へ進出する。ベイルートは日本の銀行、金融、商社、メーカーの重要な駐在先となり、最盛期には千人を超える日本人が駐在していた。当時流行したサムソナイトのスーツケースを運ぶ企業戦士たちが、サウジアラビアなどレバノン近隣の産油国を飛び回っていた時代である。

 十五年後に私が出張でアムステルダムを訪問して再会した際に、そのときを思い返して友人は話し出す。
 「自宅のバルコニーに爆弾を落とされ、現地人のシェルターへ隠れたんだ。数日後には、着の身着のままで乳飲み子を連れ、近所の日本人三家族と一緒にイタリア経由でオランダへ脱出だよ」。空港までの道程は、途中のチエック・ポイントに銃を抱えた兵士がいて「本当に怖かった」と天を仰ぐ。
 「このホテル・オークラ・アムステルダムに着いたときの平和の有難さと久し振りに口にした日本食は、昨日の出来事のように鮮明に焼きついているよ」。二人して日本酒を呑み、寿司を頬張れる仕合せを噛み締める。
 折りしも、近隣諸国や欧米の大国など様々な勢力の介入を招き、悲惨を極めた戦争は一応の終結を迎えていた。

(了)

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