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「800字文学館」 体験記・紀行文

闇夜にナースは音もなく(ひとよぎりシリーズその二)

富岡 喜久雄

 夕方どうも足が重いと、何気なく昨夜ホテルで蜂に刺された左足首を見た。足首が膨れあがって脛には青い血管が太く幾条も浮き出ている。気になって紹介されたクリニックに行くとスペイン系の若い医者が応対してくれた。
 彼曰く
 「この青筋はどんどん登って、心臓に達すると御陀仏だ。だから二、三日入院して治療する必要がある」
 仕方なく一晩入院して様子を見ることにした。インディオ系の看護婦が抗生物質らしき薬を注射器に吸い込ませ、私の右腕静脈に刺そうとする。だが空気抜きをやらない。私は慌てて注射器を指しながら「アイレ、アイレ」と叫んだ。どうやら意味が通じたらしく一発薬を飛ばしてからプツリである。さらに点滴ビンをつけると無言で退室していった。医者は、一晩中点滴を入れるから、空になったら呼び鈴を押し、取り替えてもらえと言っているらしい。片言の英語とスペイン語と身振りでの解釈である。
 他に患者はいなかった。明かりはベッドサイドのみ。医者は帰ったし待機しているという看護婦も見当たらない。がらんとした病院で、私はシャツの右袖を捲り上げたまま横になり、ぶら下げた点滴壜の中で一秒毎に落下する液体をじっと眺める。そして時々足の青筋が腹まで来てはいないかとズボンを下ろしてチェックする。
 やがて催促するまでも無く無口で色黒、太めのナースが音もなく現れてビンを取り替えてくれた。そして帰り際にニヤリと笑う。ほの暗い常夜灯ではそれが笑顔に見えず、なにやら身の危険すら感じてしまった。それでも回を重ねるにつれナースの顔が街で見かける若く可愛いい混血娘と重なってくるから不思議だ。明け方の三十分以外一切眠れず、暗闇の中で遠い昔にスペイン人ならず者とインディオ娘は何をし、何をされたかと、読んだばかりの南米征服史を思い出し妄想に耽るしかなかった。
 そして街で見かける若く美しいメスティーサ達は、今はどうかと考えた。
 起工式後の淋しくも悩ましきボリビアの一夜であった。

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