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「800字文学館」 体験記・紀行文

鉄路のぜいたく④―今はなき日中線―

田谷 英浩

 もっとも寂しい路線はと問われれば、躊躇なく日中線と答える。乗客が少ないとか、車窓に見るべきものが無いというだけなら他にもある。しかし日中線には無残としか言いようのない落武者のような雰囲気があった。

 レールウェイライターを自称する連中は「日中に走らない日中線」を枕言葉にからかっていたが、昭和十三年の開業当時の時刻表を繰ると、堂々日に六本の列車が走っている。沿線の鉱石輸送が主流だったのだろう。

 この日中線の起点はいま蔵の町、ラーメンの町として有名な福島県の喜多方である。そこから十一・六㎞先の熱塩を結んでいた。建設当時の構想は、栃木県今市から、田島、会津若松、喜多方を経由して、山形県の米沢を結ぶという雄大なもので、その一部は現在、野岩鉄道と会津鉄道として実現している。

 ただし残念ながら、日中線として開業したのは磐越西線の喜多方から熱塩までの四駅、十一・六㎞で、四㎞先の日中温泉までは到達しなかった。「日中」の名前を先取りしただけで、モータリゼーションの進展と物流の様変わりで、昭和五十九年廃線になった。

 ところで、この線に乗ったのは廃線間近の昭和五十八年頃。すでに沿線の高校生が利用する以外には用のない路線になっていたが、驚いたのは駅の荒廃ぶりである。そのどれもが無人駅であることは無論、荒れ果て、壊れ放題で廃屋そのもの。見るも無残で、これが多少でも人間の乗降する駅とは到底信じられなかった。そんな化け物屋敷のような駅に、列車は律儀に停車し、発車を繰り返す。

 車内には用のない自分以外に誰もいない。俺はこんなところで一体何をしているのか、自己嫌悪に陥る。

 救いは貫通路を通して眺める、尻を上下左右に揺さぶりながら走っているデイーゼル機関車DE10の光景。機関車牽引による客車列車特有の動きで、唯一ホッとする。

 三十分後、終着熱塩駅に到着する。もう戻る列車は無い。

 その夜はその名の通り塩辛い熱塩温泉の湯宿に泊まり、滅入った気分を晴らすべく、いつもより多目の酒を飲んだ。

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