政治・経済・社会
鎮守の森と稲作
鎮守の森と、田圃は日本の原風景である。工業化が始まる以前はこれが故郷であった。無縁社会と言われているなか、この生活様式を考えてみたい。稲作は五千年程以前に長江流域から渡ってきた。この流域は付近の遺跡発掘で明らかになってきたが、当時はカシや、シイが生い茂る常緑広葉樹の森に囲まれていた。そして、その生活様式が同じ気候に属する日本に渡ってきた。
森は季節と共に芽吹き、育ち、枯れる木々の生命の循環があり、また、稲作農耕は森と繋がった水の循環と結び付き、再生と循環の自然の営みの一環として伝えられてきた。豊かな水を稲作にもたらす森は先祖代々大切にすることが伝統になっていた。そのため、森には鎮守様を置き、実りを祈念する場所にさせ、同時に、森からさらに森林資源を大切にしてきた。
稲作は水の管理を怠りなく行わなければならない。そのため、村社会に共同体の意識が生まれ、さらには、高い収穫を目指すため、惜しみない農作業を農民に課した。稲作は麦作に比較して、灌漑機能を整え、絶えず田圃への目配りと、労を惜しまない世話が求められるので、より知的な作業が必要であった。農民にはその能力も求められた。
日本の国土は決して広くなく、この限られた範囲の中で、最大の収穫をもたらすように農作業に励んできた伝統が工業化以前の社会を築いてきた。その基本に流れ伝わっている精神構造はそれ以後も変わらない。限られた範囲の中で、力を合わせて最大に成果を出すよう労を惜しまないのが日本人の心情である。
森は農耕に豊かな恵みをもたらすだけでなく、森から流れる川を通じて、周辺の海にも恵みを与える。水産資源が豊かなのは、黒潮、親潮の組み合わせが絶妙であるだけでなく、豊かな森林資源から流れる養分が大きく寄与している。
我々は今一度、農業、漁業、林業の一次産業を見直し、村社会を通じて築いてきた絆を取り戻す必要に迫られていると思う。