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「800字文学館」 日常生活雑感

おそのさん

志村良知

 明治24年生まれの爺様は、甲府商業学校創成期の生徒で、母方の親戚の芸者置屋に下宿して通った。卒業して入った甲府の大森銀行は大正半ばに辞め、田舎に引っ込んだ。村では望む者に算盤簿記を教え、鶏を飼ったが、何より他人の世話を生き甲斐としていた。
 甲州北部の田舎には、男が結婚する時仲人とは別に人生の節目に後見となって貰う親分を立てる、子分は実の子同然に孝行を尽くすという、親分子分という古い習慣があった。
 爺様には子分が清水の次郎長に一人足りない27人いた。昭和58年に92歳で死んだ時の葬式は、その子分衆が孫子を引き連れて馳せ参じ、一週間もの大騒ぎであった。

 爺様は見込んだ若者には男女問わず世話をし、さらには伴侶を探して添わせると言う事もした。腕利きの髪結着付け師としてならしたおそのさんもその一人で、娘時代に東京まで出て修業をした。私の知っているおそのさんは、甲府善光寺大修理の指揮も執った佐田棟梁のお上さんであった。大工と髪結さんと言う江戸落語のような夫婦である。おそのさんも『厩火事』のおさきを地で行くような愛嬌のある人であった。
 おそのさんが爺様と話す時は、私の子供の頃でも既にあまり使う人がいなかった甲州弁の敬語であるごいす言葉であった。「へえ、お旦那、お暑いじゃごいせんけ、よくお達者でごいすか」と土間におそのさんの明るい声がすると、その華やかなごいすの言い回しが聞きたくて爺様の傍に侍った。

爺「つばめが通るから戸を開けたまんまにしといとくれ」
その「あれま。知らんなんで閉めちまってとんだこんでごいした。こんなもんでようごいすか」
爺「五寸ばかで良いだよ。今日は何で」
その「棟梁が珍しいもんを買って来たで、お旦那にと思って持ってきいした」
爺「ほりゃほりゃおごっさんで」
その「おごっさんなんちゅうもんじゃあごいせんけんど、お旦那は甘いもんが好きでごいしょうから」
 爺様とおそのさんの長閑な会話が続く。

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