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「800字文学館」 文学・言語・歴史・昔話

三陸海岸の幽霊――遠野物語より

大月 和彦

明治三陸津波の後の話である。

 遠野盆地の土淵村から三陸海岸の船越半島にある田ノ浜(現山田町)へ婿入りした北川福二さんは、この津波で妻と子どもを失い家も流されてしまった。
 生き残った二人の子どもと家の跡に建てた小屋で暮らしていた。一年経った夏の月夜に便所に起きて外に出ると、浜辺から男女二人が歩いてくる。近づいてみると女は亡くなった妻だった。
 二人の後をつけて舟越村(現山田町)に通じる岬まで追っていき、呼びかけると振り返って、ニコッと笑った。一緒にいたのは津波で流された同じ村の男だった。婿入りする前に妻と互いに思いを通わせた男だと聞いていた。
 今は夫婦になっているという。子どもは可愛くないのかと言うと、女は顔色を変えて泣き出す。死んだ人と話しているようには思われず、悲しく情けなくなった。足元を見ているうちに二人は足早に立ち去り見えなくなった。
 追いかけてみたが、相手が死者であることに気がつき、夜明けまで道に立ち止まったまま考え、朝になって帰った。

 明治29年に三陸沖に起こった地震は沿岸一帯に大きな被害をもたらした。この話のあった下閉伊郡舟越村の田ノ浜集落は全戸が流失し、住民の7割が犠牲になったという。
 妻の幽霊を見たという人は、遠野に伝わる話を柳田国男に語った佐々木喜善の大叔父だった。思いがけず亡妻に会った記憶が具体的で、生々しく語られている。
 柳田国男が明治43年に「この書は現実の事実なり・・・」と遠野地方の言い伝えを集めて著した『遠野物語』にこの話が載っている。

 多くの人命や財産を呑みこんだ津波は数えきれない悲劇を生み、悲話哀話が残されている。が、この幽霊話には、怨念の情や怖さは感じられない。むしろ、自然の災害で先に死後の世界に来てしまったが、今はいい人と一緒になって幸せに暮らしていると、生き残って子育てをしている夫へ送ったメッセージと解したい。

 遠野の人たちは、悲しみの中にあっても明るさとおかしさを失っていない。

(11・5・27)

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