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「800字文学館」 仕事がらみ

日本航空の衰退期(最終回)(経営破綻)

都甲 昌利

 2010年1月19日、日本航空は会社更生法を申請し遂に崩壊した。1951年の創立以来59年目にして、かって輸送量が世界一を記録した会社はその幕を閉じた。破綻原因は子会社の乱脈経営だとか、燃油の先物予約による膨大な為替差損が経営を圧迫とか言われたが、そんな些細なことではなかった。
 それ以前、赤字に転落し、何時墜落するかもしれない日航に対して、関連会社の社長と管理職40人が連判状を持って、日航の社長の退任を迫った。組織には内輪もめがつき物であるが、日航の場合は酷すぎた。組織が行き詰まり内紛が一気に噴出した。経営が行き詰まった会社を再生するには、もう生まれ変わるしか無い。日航は内部から崩壊していった。会社存亡の危機には一致団結しなければならない時にばらばらになった。JASとの合併により、負債3000億円を抱え込み更に労働組合が九つになり、各組合が自分達の利益のみ追求し、人件費削減が出来なかったのも大きな原因だ。

 日本の民間航空の父と言われた第二代目の社長・松尾静磨は「和を以って貴しとなす」という経営哲学を持っていた。経営者と職員が同一方向に向かって進まなければ会社や企業は成り立たない。それから半世紀余、日航は見事にばらばらになった。
 天下り社長や役員が政官界の利権構造に加担し日航が食い物にされたことや、その結果社員のやる気を削いだことも否めない。
 崩壊寸前の経営陣が収支改善のため、JALカード会社やホテル・チエーンなど小会社の売却を試みたたが、焼け石に水であった。

 迷走を続けダッチロールで墜落寸前の日航に対して世論も日航支援はやめるべきだとか、日航を潰してしまえという厳しい声があった。政府も自民党と民主党のかけひきに明け暮れ、これといったスキームが出せなかった。乗客もJAL離れをして行った。
 「ラストエンペラー」ならぬ「ラスト社長」に財務・経理畑の西松遥が就任したが、破たん処理しか出来なかった。稲盛和夫新会長でJALは離陸できるだろうか。

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