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大久保利通と官僚制度
大久保利通を語るとき、独裁、専制のイメージがつきまとう。確かに、明治の新政府の政体の骨格も、政策を執行する官僚の制度も大久保が作りあげたといってよい。その上、単なる下級武士の集まりである官僚を、天皇の臣とする権威づけにも心を砕いた。現在にいたる日本の官僚制度の長所も短所も、大久保の作り上げたこのときに源がある。司馬遼太郎は、『翔ぶが如く』において、「大久保の確信している日本の近代化は、官僚の専制支配と指導によるものでなければならないというものであった」と断定している。
大久保は、寡黙熟考、決断するや断乎実行するその力は余人を抜き、しかも身辺は清廉潔白、政治に対する無私の姿に、誰も口を差し挟む余地はなかった。しかし、だからといって、大久保その人が専制であったわけではない。
例えば、大久保が周辺に集めた顔ぶれを見ると、長州の伊藤博文、肥前の大隈重信を筆頭に、薩摩藩にとらわれない人材起用を行っている。とっつきにくいとはいえ、誰からの意見、提言もよく聴き、周囲の信頼は厚かった。
さらに、大久保は官僚の出過ぎた振る舞いを強く戒めた。大久保の炯眼は、特に「官」と「民」との関係にみられる。
海運の保護奨励について三つの方策を提案して述べている。
一 自立民営。二 自立していない場合は、政府の船舶供与など強力支援。三 政府自らの運営。このうち三は、「冗費を生じ巨額の損失を生む可能性あり」と指摘している。また、日本養蚕業の発展に貢献した佐々木長淳は「…(大久保公から)もし業者に対して、妄りに干渉すれば、同業者の権利を失わしめ、奸商を跋扈せしめ、国帑(ど)を徒費し、…奨励と干渉は大変な違いがあると懇々諭された」という。
殖産興業に力を注いだ大久保は、官僚をよく知るが故に、官僚の持つ弊害を「民」に及ばさぬよう細心の注意を払ったのであった。
大久保のこの炯眼は、現代においてこそ広く知られて欲しいと思う。
(平成二十三年六月九日)