作品の閲覧

「800字文学館」 日常生活雑感

思い出の先生方

平尾 富男

 言語学を学んだのは金田一春彦教授だった。言語学者金田一京助氏の長男であり、国語辞典の編纂者として既に有名であった。その講義を聴いていると、お顔を拝見していても、授業開始5分以内に大半の学生が睡魔に襲われてしまうという不思議な先生だった。講義内容は面白かったと記憶しているが、柔和で物静か、緩慢な語り口が心地よい昼下がりの睡眠に誘ってくれる。2004年に91歳で亡くなる。

 近代経済学では、岩波新書で『ケインズ』を上梓して間もない伊東光晴教授からケインズ理論を学んだ(授業を受けた)。先生は一橋大学出身で既にマル経と近経の両方で名を馳せていた。面白かったのは、教務部に勤務されていた女性と恋に落ち、奥様にしたということ、そのために奥様の出身大学でもあった筆者の母校での教鞭を執り続けざるを得なかったという伝説である。真面目な講義内容で、試験は骨が折れた。

 英語では、小川芳男先生(初代語学研究所長)のShakespeare購読とPhonetics(英語音声学)の講義が忘れられない。ラジオ・テレビの受験英語講座でも活躍された。当時人数が少なかった女子学生は先生のロマンスグレイに熱い視線を向けていた。
 昭和36年に岩崎民平先生から学長を引き継がれた際に、学内体育団体及びそのOBの主催で祝賀パーティが神田の如水会館で開催され、そのとき体育団体評議会の議長だった筆者が司会・進行役を務めた。1990年、81歳で逝去された。

 串田孫一さんは教養課程で倫理学を担当していた。学生の講義出席率には無関心で、試験の白紙答案提出に対しても「優」の単位をくれるとの噂があった。既に登山家としても有名で、学内で「山岳部」を創設し初代の部長になったと学生たちの間に伝わっていた。
 授業は雑談風で話があちこちに飛び、倫理学とはあまり関係はなかった。人生を語ってくれる大先輩というような雰囲気をかもしだす話しぶりは大いに人気があり、大教室での授業に参加する学生の数は多かった。2005年に老衰で亡くなる。享年89歳だった。

(2011.06.09)

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧