作品の閲覧

「800字文学館」 日常生活雑感

祇園さんとお盆さん

志村 良知

 諏訪神社の末社で、一郷二村を束ねる鎮守様とは別に、集落の外れの小高い場所に「おてんのさん」と呼ぶ神社がある。この神社のお祭りは7月14日、祇園さんと呼んで、今でも続いている。おてんのさん、とはすなわち天王社で、祭日には津島神社と摺ったお札が配られる。いずれの時代にか流行り病に苦しんだ村人が天王社を招聘し祀ったものであろう。昔のお祭は夕方から社務所に集まって酒を飲み、お札を配るだけであったらしいが、昭和30年代に近くの家から電気を引いてラジオと電蓄を鳴らし、盆踊りが催されるようになった。お菓子なども配られ、宵祭りということもあって子供達の楽しみになっていた。
 麦との二毛作のため、村の田植えは七月初旬で日本一遅いと言われた。祇園さんはその遅い田植えが終わり、夏蚕(なつご)を掃く前の農作業の一瞬の隙間をついて行われる、兎に角暑いと言う印象のお祭りであった。

 祇園さんが終わると夏蚕が始まる。夏蚕は成長が早いので桑取りは多忙を極める。蚕の成長に従って蚕座(さんざ)がどんどん広がるので、居間も座敷も畳を上げ、蚕座を拡張していく。5齢の10センチもあろうかという蚕が一斉に桑を喰う音は雨が降るようである。旧盆の頃は上簇(じょうぞく)時期で寝る時間も惜しい上、盆棚を置く場所も無いので仏様を迎えようがない。お盆はひと月遅れからさらに10日遅れであった。西方浄土からの旅と言うのは自由が利くもののようである。

 迎え火は麻幹ではなく麦藁を盛大に燃やした、残り火を跨ぐと腹の病にならないと、子供は縦横十文字何往復も跨いだ。蚕が桑を喰っている間は硝煙が毒であるとして厳禁の花火もこの頃なら多少は許された。音がしないからと騙されて手に持った花火が大きな音を立て、泣いたりしたのも末っ子ならではか。盆にはお決まりとしてきな粉をまぶした安倍川餅を食べた。ツクツクホウシの鳴き声の中、茄子馬などを盆茣蓙に巻いて運び、川に流すと夏休みも終わりであった。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧