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「800字文学館」 政治・経済・社会

完全性ということ

稲宮 健一

 完全性(System Integrity)と言う概念は宇宙開発を担当した時に知った。宇宙開発では失敗をしてはいけないのである。ロケットの爆発、衛星の機能停止など多くの失敗はあったが、どの宇宙機も打上げ直前まで、考えられる全ての失敗の要素を排除して、完全性が達成できたとして打上げる。それでも失敗はある。
 その後、完全性は宗教用語であることを知った。中世の西欧では、聖書が宇宙の創造から、死後の世界まで、森羅万象を無欠で完全に説明できた。これを完全性と言った。
 これに対して、天文観測で得られた事実と聖書の記述の矛盾が明らかになると、次々と、自然を観測し、現象を説明する仮設を創造して、真実を検証することで、自然の摂理が明らかになってきた。この科学による真理の追究が今も続いている。そのためか、科学に対する信頼度は高いが、しかし、科学は、客観的な事実に基づき、何人であっても同一に説明できる真実を明らかにするものであって、単に、現代的な科学や、技術の手法が使われただけでは科学の条件を満たさない。その意味で、科学で完全性が達成できている分野は、一般に理解されているより狭いのである。
 科学は一つの課題を細かく分析して追及することで進歩してきたが、広い分野や、専門間にまたがる学際的な事実の解明には人知の及ばない不明なところが多数ある。特に、科学と共に発達してきた技術にはそれが著しい。
 最近の例で、科学技術の粋を尽くした原発は安全と説明されていた。確かに三・一一で耐震性は機能したようであるが、原発の全貌を担当した科学技術者は地球物理学や、地質学との連携を怠った。どんな津波であろうとも、被災を免れる方策はあったはずだ。そして、完全性を謳ったと思われる安全神話は崩れた。
 科学的に検討されているから信用して下さいと言われても、最初に着想した人の意図を正確に掴んでないと良い結果は得られない。科学に入ってくる人間の意図には常に要注意である。

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