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「800字文学館」 日常生活雑感

壁の花

小寺 裕子

 モスクワ時代の友人の愛子さんから社交ダンスの会に招待された。
 私は「シャルウィダンス」を観たことがあるだけ。一緒に行った友人もOL時代にダンスをかじっただけ。ホテルの部屋に入るなり、我々が場違いであることがわかった。ラウンドテーブルに座っている淑女らのきらびやかなこと。我々二人だけ襟付きのお色気不足の装いだ。
 ダンススクールの生徒さんのデモンストレーションの合間に、自由に踊る時間がある。男性がテーブルを回り、女性を誘う。
 「積極的に行かないと、つまらないからね」とおしとやかな愛子さんに似合わぬ言葉に押されるようにして、フロアに出る。「私、まったくの初心者なんです」と言うと、ちょっときざな若者が「はい、後ろ、後ろ、そろえて」動じずにリードしてくれる。どうやらワルツらしい。訳がわからないうちに曲が終わる。 友人もリードされ、無事に踊り終えた。しばらくして七十代の男性に相手になってもらう。今度はタンゴらしい。「いいんだよ。初心者とは踊りがいがあるからね」と頼もしい言葉。彼のニンニク臭さも気にならないで夢中でついて行った。
 数回踊ったら、あまりに下手なので申し訳なく、我々は壁の花になった。
 愛子さんは生徒の中でも上級者らしく、ウェストサイドストリーのナタリーウッドのような装いで先生とワルツを踊った。先生は四十代で、背は高くないのに女性を巧みにリードして踊る姿には男の色気がある。自分中心の若い男性ダンサーとは、先生はひと味もふた味も違う。

 女が美しく着飾り、男を信頼しきってリードに身を任せるなんて今時ダンス以外ではありえない。言葉の壁を一瞬で取り除けるからとテニス一筋の私だったが、浮気心が生じた。どうせならテニスでガッツポーズをとるより、紳士の腕の中でにこやかに心を通わせてみたい。
 会の収益は地震の寄付になるとのことだが、素敵な人々に囲まれ日本の将来が明るく感じられた。

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