体験記・紀行文
旅日記 ―高野山の宿坊にて―
まだ明けやらぬ早朝、僧たちの声明と読経が、広い本堂に響きわたり、お参りする者を厳粛な気持ちにさせる。天井を見上げると極色彩の装飾が施されている。真言宗では、人は死後ではなく、悟りを開けば現世で仏になると教え、祈りの場が極楽のように作られているのだという。
ここは、およそ千二百年前に弘法大師によって開かれた高野山の宿坊の一つ、一乗院である。昨日、難波から南海電車に乗り、その名も極楽寺という終着駅でケーブルカーに乗りかえて、仏教の聖地にたどりついた。
雨の中、真言宗の総本山、金剛峯寺などを見て回り宿坊に入る。聞きしに勝るととのった宿泊設備で、トイレと洗面所がついている部屋にはテレビまで備えてある。大浴場で汗を流した後、早めの夕食となる。料理は修行僧が部屋まで運んでくれる。勿論、精進料理で、動物性の食材は一切使われていない。淡泊ながら味はしっかりとしており、手間をかけ心を込めて作られたことが舌から伝わってくる。三の膳までを、般若湯をいただきながら、ゆっくりと味わう。
池を配した庭園も安らぎを与えてくれる。錦鯉がゆったりと泳いでいる。色彩豊かな襖絵に飾られた大きな部屋がいくつもあり、かつて位の高い人たちが泊まったのが偲ばれる。
朝食の後は、阿字観といわれる瞑想法の体験である。大きな部屋に数名の泊り客が集まり、いかにも長年修行を積んできたと思われる、おだやかな副住職が、丁寧に教えてくれる。簡単にいえば、仏との一体化をはかるために坐して瞑想する行だ。
高野山で見残したところをじっくり巡ろうと思っていたが、台風の接近で雨脚が強まってきた。当地の美術品を収めた霊宝館で、国宝の八代童子のうち唯一展示されている「恵喜童子」を見て、山を下りることにした。運慶作と言われる朱色に塗られた木像の童子は、表情豊かでこちらの目をくぎ付けにする。
いま、上野で「空海と密教美術展」が開催されている。高野山での印象が薄らぐ前にぜひ訪れよう。