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神獣―白澤(はくたく)考
修験道で知られる信州戸隠神社のある神職が自宅土蔵の片隅から気味悪い化け物のようなものが彫られた大きさ30㎝×80㎝の版木を見つけた。20年ぐらい前のことである。埃を落として摺ってみると上段には「白澤避怪図」という標題戸説明文があり、下段には奇怪な動物が描かれていた。
体に人の顔を取り付けたようで獅子に似ているが、牛のような体で、あごひげを蓄えている。目が顔と背中の左右に3つずつ計9個あり、角が額と背中の左右に6本生えている奇怪な獣である。顔には宝珠らしいものを戴いている。目はやさしく、風格さえ感じられる。
この獣は麒麟や鳳凰などと同じ想像上の動物で、白澤という。
中国の伝説上の帝王黄帝が、東海の浜を巡視中に現れたという故事から、徳の高い為政者の治世に出てくるとされる。
聡明で、人間の言葉を解し、森羅万象に通じている。民の害を取り除き、明徳の帝が世に出れば現れるという瑞祥である。古来疫病除けと信じられていた。
説明文によれば、赤い蛇が現れたり、鶏が軟らかい子を産んだり、鶏が宵に鳴いたり、蛇の交尾が見られるなど奇異な事象が起きたら、白澤の図を掲げ、一定の呪文を7回唱えれば忽ち厄神が逃げ、禍転じて福になると効能を説いている。
末尾に「戸隠山」とあり、中世以来修験地として多くの参拝客を集めた戸隠山顕光寺がこの絵図を発行し、縁起ものとして信者に配ったり、祈祷に使ったりしたらしい。
戸隠山の荒々しい岩壁を描いた江戸時代末期の「戸隠山絵図」には「白澤御岩穴」と記されたところがある。九頭龍神を祀り水の神として農民の信仰が厚かった戸隠山では白澤信仰を取り込んで信者にサービスしたものと思われる。
白澤信仰は戸隠だけではなく各地にもあった。江戸時代に作られた絵図入りの百科事典『和漢三才図会』にも載っている。当時は旅道中のお守りとして身につけたり、厄除けとして枕元に置いたりしたらしい。
(11・8・10)