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「800字文学館」 体験記・紀行文

桃色吐息

中村 晃也

 会社の五日間のセミナーがタイのプーケットで開かれた。
 四百七十室を擁するホテル・メリデイアンのメインロビーは、いきなりプライベートビーチまでの吹き抜けになっている。人間の肩くらいの大きさのベビーエレファントが客に向かって愛嬌を振りまいている。客のチップでバナナを買って貰えるのだ。

 セミナーは午前二時間、午後三時間で、夕食後はフリーだ。早速安いと聞いているマッサージを予約した。
 マッサージ室のメニューは東洋式、エジプト式、タイ式に分かれ夫々がスタンダードのほかにオイル、香水のオプションがある。部屋には三台のベッドが並びカーテンで仕切られて居る。驚いたことには日本の若い女性客が毎晩来ている。

 マッサージ師は男好きのする中年の女性だ。先ず全身のツボをゴリゴリ。次いでうつ伏せの背中の上に乗って踵でグリグリ。耳の後ろや耳たぶをモミモミする頃になると、敵も消耗してきたのかフーフー息が荒くなる。最後は耳の穴に悩ましげな息を吹き込んで、艶然と笑って終わる。
 誘われているのかな?とも思ったが、「俺様は、ここで誘惑に負けるほど甘くはないぞ」と心に誓う。

 昼間の休憩時間はビーチチェアに寝そべり微風に身を任す。
 「お客さんマッサージはいかが?」と夕べの女性達は、昼間はビーチで商売している。それを断り、顔にタオルをかけていつの間にか寝てしまった。

 ふと気が付くと耳の周りを丹念に撫でられている。湿っぽい、だが、妙に色っぽい雰囲気を感じた。そのうち耳の穴に例の長い吐息を吹き込まれた。
 瞬間、変な気がおきたが、真昼間の浜辺だ。
 「やめてくれ!」と相手の腕を掴んだ。が、その腕は思ったより太くて、硬く、その上一面に剛毛が生えている。

 慌てて顔のタオルをはねのけた。子象の眼が笑ったように見えた。
 「ワンダラープリーズサー。バナナフォアベビーエレファント」
 象使いらしい男の声がした。

 一ドル払い、「直ぐに変な気が起きる点、オレは結構甘いな」と反省した。(完)

二十三年八月

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