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「800字文学館」 芸術・芸能・音楽

唱歌と童謡

松谷 隆

 唱歌と童謡、どちらを先に歌い始めたかと聞かれても、残念ながら、まったく覚えていない。わらべ歌だったかもしれない。
 その上、こどもが歌う歌を童謡だと思い込んでいるので、「いつ唱歌や童謡が作られたのか」など意識したことはない。わらべ歌についてもおなじだ。しかし、どのような歌でも一番だけはいまでも覚えている。慣れ親しんだからかな。
 唱歌と童謡の生立ちや違いについて教えてくれる書物を見つけた。それによると、日本で唱歌が制定されたのは、明治14年に全3巻の『小学唱歌集』が発行されたときである。「学制発布」の9年後で、それまで小学校での音楽教育はなかったとされている。
 長野県出身で東京帝大卒の伊沢修二は文部省に入省後、音楽教育の研究で3年間アメリカに留学した。帰国の翌年、明治12年に28歳の彼は東京師範学校長兼音楽取調掛に任ぜられ、洋楽による唱歌の編纂をはじめた。その目的は国を挙げて西洋化を進め、健全な愛国心を育てるためである。
 留学時代の恩師を2年間招聘し、世界中の民謡をはじめ、いろんな曲から小学生が歌えそうなものを選び、それらに日本語の歌詞を作らせて整えていった。このとき、現在でも愛唱されているスペイン民謡からの「蝶々」、スコットランドからの「蛍の光」などが含まれている。
 それから約20年後には、日本の作曲家や作詞家も育ち、名曲や話し言葉や幼児が歌える曲が作られた。「花」「荒城の月」「金太郎」「花咲じじい」などである。
 さて童謡はというと、さらに20年後の大正7年に鈴木三重吉が創刊した児童文芸雑誌『赤い鳥』を待たねばならない。三重吉は芸術性と創造性を持つものを童謡と位置付けたので、唱歌に対抗する形となった。彼に賛同した北原白秋、三木露風、野口雨情、西條八十などの作詞家、山田耕作、弘田龍太郎、本居長世といった作曲家が童謡に力を注いだ。
 おあとは、主婦の友新書の佐山哲郎著『童謡・唱歌がなくなる日』をどうぞ。

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