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「800字文学館」

その時、君はどうしますか

池田 隆

 企業を勤め終えた後、大学へ移り、「機械工学と社会の関わり」という教科を受持った。社会に出る前の学生たちへ心の準備をさせる最良の機会である。倫理学一般の話をした後、各学生に対し私自身の経験を参考にして、次のような仮想事例の課題を出していた。

 君は三十五歳になり、ある中堅の機械メーカーで新進気鋭の品質保証課長として活躍している。製品出荷に関し全権を与えられている。(中略)家庭では妻と二人の子供と一緒に円満な生活を過ごしている。ある時、会社で重大な問題が起こった。
 社会的に重要な使命を帯び、会社にとっても存亡を賭けた製品の出荷検査時に、部下より素材検査に見落しが有り、国に届けた材料成分の規格値を僅かに外れていると報告を受けた。自分自身でも再検査をしてみたが、やはり外れている。材料や強度設計の専門家にも相談したが、「九分九厘、問題なかろう」との答えである。
 直ちに上司にも報告したが、事が事だけに社長室まで行き、説明することになった。社長からは「今出荷を止めれば、国家的なプラント建設が一年以上も延びる。社会的に大きな波紋を呼び、当社の経営も怪しくなる。数字を少しなめて、転記ミスをしてみたら」と言われた。データ改ざんに躊躇していると、「それならば、誰かとポジションを交替しようか」と仄めかされた。貴方は一日だけの猶予を貰い、家に帰り妻にも相談したが、「今の生活が大事だわ」との返事。

 その時、君はどうしますか。

 六年間、毎回百名弱の受講者に対し同じ課題を出したが、皆それぞれに真剣に考えたレポートを提出してきた。結論的に出荷停止の指示を出す者とデータの改ざんを行う者は毎年ほぼ同じ比率であったが、改ざんすると答えた者が就職の厳しい年は増え、企業の不祥事が世で騒がれた年には減った。
 その時の学生たちも今は三十五歳前後である。社会人として、家庭人として、かかる問題にも直面していることだろうな。

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