遠野盆地と三陸沿岸の交流
「遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西の半分、山々にて取り囲まれたる平地なり・・・」、「海岸の田ノ浜、吉里吉里などへ越ゆるには昔より笛吹峠という山路あり・・・」と遠野物語が記しているように遠野盆地は岩手県内陸部と三陸沿岸を結ぶ交通の要所だった。
鉄道や道路が発達する前は、北上山地を越える仙人峠や笛吹峠などの街道には、海産物や農産物を積んだ駄賃馬が頻繁に行きかっていた。
遠野物語には峠越えにまつわる話や海岸部に伝えられていた話が多く収載されている。
仙人峠にある堂の壁に旅人が山中で遭った不思議な出来事を書き記す習慣があったという。峠道で出遭った天狗や山男、猿のいたずらの話など。
釜石に通じる境木峠は狼が出没する難所だったので、馬方が10人ほど集団で4,50頭の馬を追っていた。ある夜のこと、2,3百匹の狼が襲ってきた。馬方たちは大きな火を焚いて襲撃を防いだ。狼の群れは遠巻きにして夜明けまで吠えていたという。
三陸沿岸の噂や話も載っている。
山田の村へ婿入りした男が津波で死んだ奥さんの幽霊に会う話や舟越の漁師が夜遅く家に帰る途中妻に化けた狐に会う話など。
山田では外国の景色の蜃気楼が毎年見られたこと、釜石と山田には西洋人が来住し多くの洋館があったこと、嘉永のころ舟越半島にいた西洋人が密かに耶蘇教を布教し、遠野の信者が磔になったこと、浜の異人が抱き合ったり嘗め合ったりしていたことなど。
東日本大震災で遠野市も大きな被害をうけたが、その地理的条件を生かして津波で壊滅的被害を受けた山田、大槌、釜石などの沿岸部の後方支援の拠点となった。
自衛隊は市の運動公園にキャンプを張りここから現場に出動した。救援物資の配送、ボランティアの活動、警察や医療など各地からの救援チームは遠野を拠点に活動を行ない、「災害救助支援のモデル」と高く評価されている。
かつて駄賃馬が列をなした峠越えの道路には、今も救援・復興のため県外ナンバーの車両が忙しく行きかっている。
(11・9・9)