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「800字文学館」

ロケット打ち上げと焼酎

稲宮 健一

 昭和三九年に三菱電機に入社して、初仕事の出張は内之浦のロケット打上げ基地だった。秋田県道川海岸から移設した古いロケット追尾レーダの最大測定距離を六〇〇㎞から六〇〇〇㎞以上に性能向上させる課題であった。送信電波のパルス繰返し頻度の異なる二系統のレーダを独自の方法で一系統に統合して解決した。この部分を新規に設計して、工場内で製品を完成させて現地に出荷した。
 当時の内之浦は東京大学宇宙航空研究所の施設で、射点にはラムダロケット用のランチャーが設置され、各種の制御装置を収納した建屋が周囲にあった。
 レーダは射点から二㎞程離れた太平洋を地平線まで見通せる小高い宮原(みやばる)の丘に設置されていて、直径四mのパラボラアンテナを備え、飛翔するロケットの三次元位置を連続で計測する自動制御機器である。
 新規な装置は真空管を使った大掛かりな電子機器であり、伊丹の工場から来た各部門の五人程のチームがその現地据え付け工事を実施した。次に、射点に擬似ロケットを置き、実際の電波を使って擬似追尾を行った。これで準備は完了した。
 一応製品は完成したので、今夜は慰労会にしようと酒を買い出しに行ったが、鹿児島では焼酎しか売ってない。薩摩白波の一升瓶を持ち帰り、取れたての新鮮な魚と焼酎で盛り上がったが、慣れない焼酎をついつい飲み過ぎてしまった。
 打ち上げ日の翌朝、全員集合し、朝礼。レーダ班は車で宮原に向かった。皆前夜の焼酎の気が抜けてない。しかし、操作室に入ると、各持ち場に着き、平常心で打ち上げを待った。
 ジェット機が近くに飛んでくるようなゴーと言う爆音と共にラムダは打ち上がった。レーダはロケットの信号を捕捉「ロックオン」、パラボラアンテナはロケットの飛翔方向に追従し、画面上に刻々と位置を表示した。完全に成功裡に完了した。
 と同時に、二日酔いの戻りが全員を襲い、急ごしらえにダンボールを床に敷き、横になった。ある出張の出来事だった。

ラムダロケット:一九六〇年、高度一〇〇〇㎞のVan Allen帯に届くロケットシリーズとして立案された。一九六四年に人工衛星打ち上げへの利用の可能が示され、一九七〇年(L―4S、5号機)により日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げられた。

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