(続)白澤(はくたく)考 ―― 白澤は獏か
魔除けの神獣、白澤への信仰が修験道で知られる信州戸隠神社で江戸時代に行われていた。数年前に白澤像の版木が戸隠で見つかったことで明らかになった。戸隠神社はその後も多く信者や参拝客があったにもかかわらず、白澤の信仰はすっかり姿を消してしまった。廃仏毀釈運動と関係があるのだろうか。
江戸時代の百科事典『和漢三才図会』に白澤の項目があり、白澤信仰は各地で行われていたようだ。
本所五ツ目にあった五百羅漢寺には白澤像が祀られていた。「白澤を見てまた250人」、「白澤の涙背筋を分けて落ち」などの川柳があるように「本所のらかんさん」の白澤はよく知られ、親しまれていた。
この寺は、明治中期に中目黒に移転し、今は広い境内に本堂のほか聖宝殿、羅漢堂、会館などがある大きな寺院になっている。羅漢堂には江戸初期に造られた300体余の木造の羅漢像が並んでいて、出口近くに人面牛身虎尾の奇怪な動物の像が安置してあった。獏王(白澤)像とある。
戸隠神社で見つかった白澤の絵とは角がない点などを除くとほぼ同じ。眼が顔と左右の背部に3つずつ、合わせて9つあり、あごひげをつけている。カッと開いた眼は前方をにらんでいる。
羅漢寺の開祖松雲禅師の作といわれ、都の重文に指定されている。本堂の釈迦如来像の護り神として麒麟の像とともに後ろに安置されていたという。
白澤と獏は同じなのか。
獏(バク)は中南米などに生息する哺乳類の動物。一方、中国では古来想像上の神獣とされ、人の悪い夢を食い、善い夢を与える獣と考えられていた。
江戸時代の随筆集『嬉遊笑覧』には、大晦日か節分の夜、宝船の帆に獏の字か絵を書いて枕の下の置いて寝るといい夢を見ると記されている。
驚いたことに同書は「白澤は獏なるべし、澤獏白同韻なり」と断じている。両方とも避怪や招福の神獣なので同じものとしてしまったらしい。
獏王(白澤)像があるものの参拝者の多くは羅漢像が目当てだという。
(11・10・13)