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「800字文学館」

年月感覚の法則

池田 隆

 歳を取ると年月の経つのが早い。幼少期には長く感じた一年間が今では瞬く間に過ぎてしまう。主観的なこの年月感覚は暦日で数えた実年月と定量的な関係が有るのだろうか。
 仮に二十歳の時点を基準として、「感覚年月が実年齢に反比例する」としよう。すると一年間の実年月を十歳の子供は二年分の長さに感じる。一方、六十歳の高齢者は四カ月ほどの短さに感じる。
 その感覚年月を記憶が開始する六歳から実年齢まで積分すると、感覚年齢が得られる。十五歳の少年は十九歳になったようなませた気分になり、四十歳で感覚年齢が実年齢と一致し、七十歳の高齢者は鏡を見ない限り、まだ五十一歳のつもりでいるという結果が出る。
 この計算結果が我々の現在や若い頃の感覚に合っていれば、「感覚年月は実年齢に反比例する」という仮説は立派な法則にある。ただし、この法則は記憶開始の年頃から現在までについてしか成り立たない。
 過去に対する年代感覚として自分の誕生より以前の事象は現実感が急に薄れ、歴史的事象に変わる。芥川龍之介は谷崎潤一郎より六歳も年下であるが、芥川は古典的作家、谷崎は現代作家として私には映る。芥川が私の誕生十一年前に早死にし、谷崎は私の成人後に亡くなったせいだろう。今の若者は両者共に古典的な同時代の作家に覚えるという。
 未来に対する感覚年月は現在の感覚年月の数倍となる。その結果、心づもりしていた事柄はどんどん先に積み残されていく。
 また自分の想定残余寿命より先の未来になると、急に現実感を失い、年月感覚が薄れて行く。この架空の将来に対して冷淡で投やりになる人も多いが、中には却って普遍的な哲学的な思考を深める人も出てくる。出征前の若い青年の手記などを読むとその思いを強くする。
 自分の想定残余寿命は子や孫が生まれると彼らの寿命にとって替り、どんどん将来に延びて行く。旧家族制度の下では永遠に延びていた。其処に命のつながりを感じるためだろう。

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