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「800字文学館」

我が家と関東大震災

稲宮 健一

 関東大震災が発生したのは一九二三年(大正十二年)九月一日である。この日母は生まれ育った浜町で被災した。母が十才の時である。その時恐怖の中、奇跡的に助かった様子を小さい頃何遍も聞かされた。揺れが収まってから、兄、弟と共に逃げた。隅田川の橋に達すると、逃げる人が一杯で身動きがとれない。兄はとっさの判断で、下にあった舟に目がけて母と弟を川に投げた。幸い舟の上に落下した。
 我先に助けを求める中、船に飛び込んできた人を追い払うわけにもいかず、この舟のお陰で一命を取り留めた。岡に上がると、祖母がいつもお茶を教えていた弟子の家行くと、そこで家族全員再会して、修羅のなか一家は助かったとのことである。
 その頃、父は渋谷の駅の近くに住んでいて、その家では壁の一部が落下した程度で、実害はなかった。この震災は揺れより、狭い下町を襲った火災が大きな災害をもたらしたようだ。
 やがて、母は被災者の多く住む、世田谷の太子堂に引っ越し、高女に通うまでそこに住んでいた。そして、父の家族は渋谷を引き払い、未だ、田圃や畠の沢山あった世田谷上馬に引っ越してきた。やがて、父は高女に通う母を見染めて、結婚することになった。
 結婚式は当時まだ珍しかった赤坂の山王ホテルで行われた。丁度一か月後、このホテルは昭和十一年二月二六日に発生した二二六事件の司令部がおかれたとことである。
 翌々年の昭和十三年に私が誕生している。生まれる前のことは私の預かり知らぬことであるが、私の中には、結果として、大きな事件や、一家の小さい変遷が織り込まれていることになる。
 そして、誰でも過去の社会に結び付き、各個人は独自のできごとを持って生きてきている。これからも、深い因縁で結び付いた社会は平穏であって欲しい。しかし、災害は忘れた頃にやって来るの格言を心に銘じ、大災害から学んだ教訓を生かして欲しい。あせらず、しかし、忘れずに人災を起こさない努力に期待したい。

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