作品の閲覧

「800字文学館」

二人のフリーダ

平尾 富男

 メキシコの天才女流画家の生涯を描いた映画『フリーダ』(“Frida”)が、日本で公開されたのは2001年であった。
 フリーダ・カーロは、少女時代に遭遇した悲惨な交通事故による傷と度重なる手術の後遺症に悩まされながら、絵画という芸術に目を開かれていく。既に有名になっていた壁画家ディエゴ・リベラへの師事、そして激情の末の結婚。21歳の年齢差やディエゴの大の女好き癖、そしてその巨体に嫌悪を示すフリーダの両親の大反対を押し切ってのことである。
 フリーダは、生涯の伴侶となったディエゴと自らに対する激情を通して、芸術の炎を燃え上がらせる。その『自画像』は、ラテンアメリカのアーティストとして、最初にルーブル美術館に飾られた作品である。1954年に47歳でその波乱に満ちた短い生涯を閉じた。

 伊藤整の翻訳による『チャタレー夫人の恋人』が猥褻文書と宣告され、戦後では珍しい伏せ字付きで出版されたのは1964年だった。
 1885年にイギリス中北部の炭鉱夫の家に生まれた原作者D.H. Lawrenceもまた、その大胆な性描写ゆえに因習的な英国社会で屈辱的な迫害に悩まされ続けた。作家が「生命」を強く意識するようになった引き金は、その半生を常につきまとっていた病弱な体質だった。
 実生活では、大学時代の恩師の妻、7歳年上のドイツ貴族の血を引くフリーダ(Frieda)・ウィークリーと駆け落ちをし、世間の非難の目から逃れるために世界中を放浪して歩く。文明社会の醜悪さを避けるかのように、広大な自然に恵まれたオーストラリア、アメリカ先住民の集落、そしてメキシコで、フリーダとの率直な愛の生活に生きた。
 “Lady Chatterley’s Lover”は、44年という短い生涯を終える直前に、二人の生き様の証明としてイタリアで書かれた作品。ローレンスはフリーダによって生を、そして作家としての命の源泉を得たのだ。

 二人のフリーダはそれぞれ生きた時代も場所も違うが、その名前が呼び起こす強烈な個性に深い思いを馳せざるを得ない。

(2011.10.13改)

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧