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「800字文学館」

叔父の外国小咄

池田 隆

 海軍士官であった叔父は真珠湾攻撃を皮切りに、南太平洋よりセイロン島までの海域を歴戦した。ペナンへドイツの潜水艦を受取りにも行った。
 戦後、国民の健康にとって蛋白源の確保が国家の最重要課題になると、捕鯨船に乗り替え、食料戦士となった。南氷洋や北大西洋など、地球の隅々にまで出向いていた。
 国際捕鯨会議など、外国での仕事も多かった。帰国すると、当時、まだ学生だった私に外国での経験談をユーモア溢れる語り口でよく話してくれた。何処までが実話だったのかは不明だが、それより二話。

 ドイツの長距離バスのなかで漁師仲間のひとりが急に尿意を催した。しかし奴はもじもじするばかり。見かねた俺が美人車掌に向い、親指をピクピク動かし、ウィンクしながら、”Er hat einen Herr-geschaft”と言った。すると彼女はニヤリと肯き、やがて車はトイレの近くで止まったよ。
 ところが、慌てて降りて行った奴がすぐに青い顔して戻って来た。「どうした?」と訊くと、答えて曰く、「一つのドアに『へーれん(Herren) 』、もう片方には『だーめ(Damen) 』 と書いてあるぞ」

 英国に各国の捕鯨関係者が集った会議の夜会で、俺も英語でテーブルスピーチをやったよ。
 「所はロンドン、時は戴冠式、エヘン! 列国の紳士淑女が居並ぶ中、風貌雄偉なロシア大使と武官がこの世紀の式典に参列した。その名をストロガノフとロンジンスキーという。両人に一目惚れした英国の貴婦人が付き人に『何方かしら』と囁いた。付き人が英国風に『ストロングイナフ伯爵とロング大尉です』と答えると、貴婦人はますます頬を染め、うっとりとした表情になったとさ」
 俺の話を聞いて海の男たちは膝を打って喜び、ヤンヤの喝采さ。

 叔父は話上手なうえに手八丁で、行動面も国際級であった。ある時は彼を独身と思いこんだ金髪女性が日本まで追いかけて来たという。後年、大人になった娘が私に漏らした。
 「父は英国紳士をいつも気取っていたが、あの時ばかりはかなり慌てていたわ」と。

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