作品の閲覧

「800字文学館」

爪楊枝が離せない

西川 武彦

 海外出張に欠かせない物の一つに爪楊枝があった。外国では日本と違ってテーブルに楊枝が置いてあるレストランは珍しい。名刺入れや財布に振り分けて常時五本は携帯していた。
 その習慣は現役を退いてからも続いている。老化現象でそれが離せなくなったのだ。酒の摘みも歯に挟まるから悲しい。詰まるのは奥歯の一本だ。掛かり付けの歯医者にたまに掃除してもらうが、いつの間にか劣化のため隙間が出来る。

 家では朝から銜え楊枝で新聞を読み、メールを整理し、原稿を叩いている。ソファでテレビを観ながらうとうとして落す。床に入ってからも、咥えたまま仰向けになって頁を捲っているうちに寝入ってしまう。トイレで屈んでいるときも咥えているのをポトリ……。知らぬうちに家中に爪楊枝が散乱している有様だ。
 暫く前、丑三つ時に右足の親指がチクリと痛んだ。その頃、小鼠が我が家に潜り込んでいた。さては鼠公にやられた? 吃驚して飛び起き、枕元の灯りを眼一杯明るくして探すと、捩れた毛布の中から楊枝が二本も現れた。

 さて、この爪楊枝、インターネットで調べたところ、お釈迦さまが紀元前五百年に木の枝で歯の掃除をしたのが元祖という。日本には奈良時代に仏教と共に伝来したとか。僧侶、貴族などを経て、庶民に広がったのは江戸時代。
 歴史を更に遡ると、十万年前、ネアンデルタール人が木の枝を細工して使っていた痕跡があるそうだ。材質としては、象牙や鼈甲を素材としたのもあるから、楊枝にも貴賎があったのだろうか。
 元来、柳の枝で作ったので「楊枝」という漢字が生れた。今では、丸い棒状で、長さは6.5cmのものが日本では一般的で、素材もいろいろだ。その昔、キャセイ航空に乗ると、合成樹脂のTooth Pickが貰えて重宝した。円くなく薄くて先が尖っている。Dental Floss(糸楊枝)もついていたと憶えている。

 「爪楊枝」は「妻楊枝」とも書く。「楊枝で重箱の隅をほじくる」という。老妻が買い求めて我が家に置いてあるのは「妻楊枝」である。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧