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「800字文学館」

瞬刻のサスペンス

濱田 優(ゆたか)

 つい先日のこと、自由が丘で一つ用事を済ませ、渋谷に戻った。
 次に、近くのホテルのラウンジで人と会うまで半時ほど時間がある。紀伊国屋で話題書を物色するか。それともビックカメラで電子小物を探すか。とりあえず駅から西口の広場に出たところで、すれ違った男に声を掛けられた。
「やあ、先輩、お久しぶりです」
 振り向くと、どこにでもいるオジサン顔の太った男が挨拶をする。
 はて、誰だったか。会ったことがあるような気がするけれど思い出せない。
「いや、おれ、太ったから……」
 身体を細くした男の姿を想像してみると、中学時代のクラスメイトに似ている。その名前を口にしかけて思いとどまった。
 同級生なら、「先輩」はない。愛想笑いと怪訝顔をモザイクにしていたら、
「ところで、先輩、その後体調はいかがですか」
 えっ、私が大きな病気をしたことを知っているのか、と一瞬思ったものの、
「まあまあ年相応に……」と答えた時は、全身疑問符に包まれていた。
 ここまで互いの名前も学校や会社も固有名詞が全く出てこない。それでいてこちらの疑問を見透かしたような言葉を次々に繰り出し、名前を訊く間を与えない。ここで流れを反転させないと相手のペースに嵌ってしまう。
「最近物忘れがひどくて失礼。ひょっとして青山中学で一緒だった……」
「思い出してくれましたか。よかった」
 うそだ。私の中学は赤坂だ。こいつの狙いは何だろう。良からぬものの勧誘か。もっと恐ろしい恐喝か。急に恐怖心が募り、動悸が激しくなる。
「ごめん、急ぐんで」というや、青信号が点滅しはじめた横断歩道に向かって全速で走りだし、横断し終わってからもしばらく走り続けた、すぐ後ろに彼がいるような気がして。
 盛り場はサバンナに似て、人の群れの周りに様々なワルが潜んで、虎視眈々と獲物を狙っている。時間潰しをあれこれ考えながらぶらぶら歩いていた、その時の私は恰好の餌食に見えたのだろう。気を付けないと――。

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